周囲の人に寛容になりたい
いつも有難いお言葉ありがとうございます。
産後から鬱病を患い、もう10年程病気と付き合いながら育児や仕事を無理なくさせてもらっています。
最近、病気が悪化しているのか、お薬が効きづらく、本を読んだりカウンセリングを受けてもしっくりこない(まだ通い始めなので、始めはスッキリせずにモヤモヤする事が多いですと説明はありました。)
悲しい気持ちが続いており、消えてしまいたいと思う事があります。
相談出来る人はいません。
最近やたらと周囲の人に怒りっぽくなってしまっている気がします。
以前はなんとも思わない、まあいいかと流せた事も
【それはあなたがこうだから悪いんですよね!?】と必要以上に相手を正論で、言い訳が出来ないくらい責める言い方をしてしまい、自己嫌悪に陥ります。
今まで我慢していた事が爆発している様で怖いです。
自分を元の穏やかな状態に、戻したくて焦り、もう半年が経ってしまいました。
普段あまり怒らなかったので、周りから引かれているのもひしひしと感じます。
孤独です。
寂しいです。
怒りや不安な感情を浄化するにはどうすれば良いでしょうか?
ご教授頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を知るのです
自分とは何かを知ることです。
自分の我欲によって振り回されている現実に目を向けて、それに気づいたら止めること。その場にいないこと。
何より自分と他人を分けて考えないことです。人は自他があるものだと勘違いして生きています。しかしあるのは自分自身の様子だけ。今蝉が鳴いていますが、"蝉が鳴いている"というのは説明の上であって、この身の上に起きていることはただ「ジーーー」があるだけです。聞こうとかしなくても「ジーーー」だけです。それはこの身があってこその事実。相手から与えられたなんて様子はないでしょ。
考え方の上では相手からということがあるけれども、そんなことないでしょ。
そうしてとりあえず観察してみてみると自分の様子だけで生きているのです。ですから蝉の「ジーーー」であろうと誰かからの「バカやろう!このクソ○○」であろうとただの音。傷つく必要も相手を変える必要もないのです。気づいた時にはその音や景色は終わっていますから、後からこねくり回して攻撃しても、無意味で虚しいだけです。
自分の体に学ぶのです。イライラしたら黙ること。八つ当たりしないこと。
過ぎたら無かったことと何にも変わらない今があるでしょう。
そうやって禅は自分自身に学ぶのです。
そうして自分がわかってくると穏やかな自分を取り戻せます。元々そうなんだから。
質問者からのお礼
邦元様、ありがたいお言葉ありがとうございました。
自分とは何かを知る、、とても今の私には難しい事に感じてしまうのですが、何度も読み返して教訓にしようと思いました。
自分と他人を分けて考えない、とても素敵な言葉だと思いました。
立派だなと思われる方々は、訓練のように意識的か、無意識的かにされて身につけられておられるのかと思いました。
そんな人になれたら良いなではなく、なるのだと強く決意しようと思いました。
ありがとうございました。