仏門を目指すには
与えて頂いた命ですが、限界です。
この世間から離れ、仏門を目指す事は出来ますか。
原因不明の病で4ヶ月寝たきりです。仕事も出来ず、貯金で税金や保険を払っていくにも限界があります。 今はとにかく身体が辛く眠ったまま目を覚ましたくありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
直心是道場
ん〜…遠回しに死にたいとおっしゃっています?もしそうなら、そういうの仏門に入るとは言いませんよ。これは病床の正岡子規の言葉です。
>私は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りとはいかなる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたがそれは間違いだった。悟りとはいかなる場合にも生き抜く事であった。
(正岡『病床六尺』) http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/43537_41508.html
他の場所で「戦国時代の豪傑でさえも死ぬ前には苦痛から家臣を叱りつけた」という話題が出ていますが、実はお釈迦さまも亡くなる前にお弟子さんを怒鳴りつけているんですよね。近隣の人がお釈迦さまの教えを聴きに来たのですが、お弟子さんは強烈な食あたりに苦しむお釈迦さまを気遣って面会を断ったのです。3回頼まれましたが3回とも断りました。するとお釈迦さまは「うるさいぞアーナンダ(お弟子さんの名前)!その人の邪魔をするな!いいから入りなさい!」と。
はなはな様が死ぬ前だと言っているわけではありませんが、病で辛ければ悪態つけばいいんです。hasunohaに愚痴りにいらっしゃい。その言葉が出るということもまた生命力です。
文字通り仏門に入りたいなら、深山幽谷にこもって頭丸めてスタイリッシュに決め込むだけが仏門じゃありません。ウチの宗派の道元禅師は迫害から逃げて深山幽谷に永平寺を構えましたが、「ホントは深山幽谷にこだわるようなのはうわべの形にこだわってるだけなんだ。でも、末法の世だから(迫害されるので)仕方ないと思ってやっていくしかないね」と書いています。意外でしょう?そして「へぇ〜」という感じで面白いでしょう?
もっといっぱいご質問くだされ。質問したら質問した分だけの仏門です。
出家なさってみてはいかがでしょう
拝読させて頂きました。あなたはこの汚れた世の中を離れたいのですね?
この世の中を捨てて仏門に入られることをお勧めします。
つまり出家、出世間です。
それはあなたが正しい仏の教えを学んでいかれる有り難きご仏縁かと存じます。
どうかご検討なさってみてくださいね。
仏教徒となり様々に学んでいかれる様にお願いします。
仏教には八万四千の法門があると言われています。つまり八万四千の教えや実践があるのですね。
どうかご検討なさってくださいね。
あなたがこれから仏様の教えに導かれて心も身体も満たされて豊かな日々を送って頂きます様に仏様にお祈りさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
念仏で、心は瞬時に仏道に帰る
「南無阿弥陀仏」と念仏を称(とな)えて、阿弥陀様の力で極楽浄土に往生できると思ってください。
そのように念仏しているとき、私達の心は、極楽浄土へ向かう白い道の上に立っているのです。
仏門に向かう真っ白い道です。
この道の先では、極楽浄土から阿弥陀仏が手招きしています。背中からは、お釈迦さまが送り出してくれています。
ただし、この道を歩いていると、横を流れる激流の河から、ざぶんざぶんと激しい波が襲いかかってきます。
欲望の波と、怒りの波です。
私達の心は、欲望や怒り(悲しみ・嫉妬など含む)の波にすぐにさらわれ、白い道から転落してしまう毎日です。
欲望や怒りのため、悩み苦しみが絶えませんね。
しかし、ひとたび「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、心は瞬時に白い道の上に戻るのです。
怒りに飲み込まれたら念仏、悲しみに飲み込まれたら念仏、欲望に飲み込まれたら念仏。
煩悩の激流に飲み込まれるたびに、念仏で心を仏道に戻せるのです。
だから、この、願往生心の道を念仏を命綱にして、誰でも無事に歩けるのです。
合掌 十念
なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶつ、なむあみだぶー。
念仏者は、生きれば念仏の功徳が積もり、死ねば浄土に往生できます。
だから念仏者には、生きても死んでも、思いわずらう必要はありません。
浄土宗としては
できる範囲でいいですから、声に出して念仏を唱えてください。
南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。
なんまいだぶ、でも他でも構いません。
朝、昼、夜、いつでも、どれだけでも構いません。
100回でも1000回でも。
手を合わせて唱えてください。
極楽浄土を願って唱えてください。
この世ら離れることはできませんが、
万が一の時は、必ず阿弥陀様が極楽浄土からあなたの元へ迎えに来てくれます。
質問者からのお礼
今回で5回目の質問になります。
死ぬ事すら出来ない。のは分かった上で。
今の環境で生きていく事が困難なのです。
社会から離れ、余計な事は考えず「ただ息をする」
試練は乗り越えられるといいますが、「現実のどうにもならない試練」をこれ以上受け止められません。
生きていくのも地獄。
死ぬ事も罪。
それならば、世間から離れ、そっと生きていきたいのです。