人間が怖い
私は元々、人を信じる事が出来ず、なかなか心を開く事はありませんが、ここへ来て身内の人間関係で益々人間不信が酷くなってきました。私は子供の頃、長い間いじめを受けてきて、その経験もあってなのか、人の顔色や言葉や雰囲気で様子を窺うようになりました。昔はもう少し素直だったと思うのですが、人の裏表が見え始めてきて、特に身内は裏表が激しく、私の前と違う所では言う事や態度が全然違うので、もう何が何だかわからなくなってきました。他人なら付き合いを絶ち切ればいいですが、血の繋がりがあると切るに切れない部分がありますよね…。 現在、母が大病していますので、必要最低限の関わりは持たなくてはならず、母がこの世を去ってしまったら、もう身内の付き合いを絶ち切ろうと思ってます。人間が怖いです。
人を信じる事の難しさに悩んでます。私はどうすればいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたも同じ人間なのです。
ご相談拝読しました。
誰の前でも言動が同じ人がいるでしょうか?あなたは誰の前でも必ず同じ発言、態度をとっていると言い切れますか?
私はそんな人はいないのではないかなあ?と思います。
人間は関係存在です。仏教的に言うと縁起的存在ですが、まあ難しいことはおいといて、誰かとの関係において私が成り立っているということです。
その誰かが変わるなら私も変わります。絶対的な私がいるわけではありません。誰かの前での私が本物であってその他は偽物ということではなく全部私なのです。裏も表も。
ですから必然的に関わりが多くなる親戚のそういう面は目に入ることになります。でも実は、あなたも私も多かれ少なかれそういう面があるのです。それをあなたの感覚で好きか、嫌いかと判断しているということです。
嫌いな人を好きになれと言っているのではありません。過去の経験から中々受け入れがたく、恐怖を感じることも多いのでしょう。
無理はする必要ありません。関わることがあなたを大変に苦しめるならばそこから離れてください。
ただそうではなく、その恐怖を少しずつ受け入れていきたいという気持ちがあるならば、皆同じ人間ということを認めるところからなのかなと思います。
ご親戚も、あなたをいじめた人も、あなたも、私も関係の中を生き、裏表をもった人間なのです。
傷つける人も居れば、守ってくれる人もいるでしょう。どんな人とも平等ないのちを生きる人間として出会っていきたいものです。