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主人の気持ち

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

お陰様で、主人の復職もでき、あの当時が嘘のように、今は元気にやっております。
自分が心から信頼できる神社の宮司様に出会い、それ以来神棚も家に迎え、自分でも『イライラしなくなった』と話してます。
ただ、復職後の給料が低すぎ、転職も考えてます。その件は主人に任せています。

私の気持ちがもやもやしているのは、私の両親との同居を、主人は嫌なのではないかと…。
主人が同居にたいして、本当はどう思ってるのか、気持ちがわからないのです。

元々同居しようと言い出したのは主人だし、主人が体調崩す前(3月頃)までは積極的で、7月には引っ越そうと話していたのに、休職で延期になり、今では目処が立ちません。

両親は主人を大切に思っていて、本当の息子のように心配していますが、主人にはそれが過干渉と捉えられてしまい、『同居するのはいいけど干渉だけはしないで。』と、先日の2人の話の中で言ってました。
両親としては、婿になってくれた主人に感謝していて、それは私も同じです。(婿になると言い出したのは主人)
主人がヘルニアや入院したりした時に、駆け付けずに、放っといて欲しかったとも言います。私はそんな主人に逆ギレしそうでしたが、その時は受け止めました。

主人の両親は離婚していて、父親が駄目な人だったから、私の父を本当の父のように慕いたいと思っているのか、父のことは好きのようです。
父は主人の事を母に言っていて、うるさく言わないのは母がストップしてくれてるからなのに、母は口うるさいと感じ、過干渉だと、最近になって初めて言いました。
それまでは両親と仲も良く、主人からそんなことを聞くとは思ってなくて、私はショックで、悲しくて。
私だって義母に対する不満は沢山あるけど、一言も主人に言ってないです。

主人は今でも『同居はするし、両親の老後の世話も自分が見る』と言っています。
『後何年両親は元気でいるかわからないから、今のうちに会っときな』とも言ってくれて、私が母と会う事には積極的に勧めてくれています。

この先、時期は未定ですが同居してもいいのでしょうか?
今の所両親は2人とも元気なので、なにか病になってからの方がいいのでしょうか?年老いていく両親にアレヤコレヤと言って、生活にストレスを与えてしまうのでは。なら、このまま別居の方が両親の為なのかもと考えるようになりました。
ご助言お願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの「両親や主人が心配だと心配している」心配煩悩

人を心配して相手を何とかいい方向にしようとしているようであって、それは実はあなたの問題なのです。
あなたの問題とはあなたの中のイメージ煩悩。
実際の事が始まっていない内から心が騒いでしまうこと。
実際の当の本人の明確な心境が分かるはずもないのに「きっとこうなのではないか」と思い込むことで、不安になったり、グラつく。
それはあなたの心配による自爆&自縛の想いなのです。
個々が分かれば「ああ、問題は非立つだけだった」と悟れますから解決はたやすい。

問題はそとにあるのではない。
外にある問題を取り扱ってキャパオーバーになっているアタシの心だった!

「事件は現場で起きているんだっ!だが、その事件を取り扱って問題を起こして過剰になっていたのはオレの、オレの頭の中だった。」織田◌二

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

押し付けは長く続きません

拝読させて頂きました。かなりご心配のご様子ですね。心配がより心配を生んであれもこれもと派生してしまっておられる様に感じました。
あなたもご主人様も一応はそれぞれ成長なさりそして所帯を持たれた訳です。
いくつになっても親子は変わらないでしょうが、やはりそれぞれのご家庭として独立して頂く意識はお持ち頂くべきかと思います。
普通に考えて親は先にあの世に旅立つのです。あなたがたをお見守りなさってくださいますが、ずっと保護者であることはありません。
ですから親しき中にも礼儀ありですよね。お互いの家庭をそれぞれ親子であっても尊重なさって頂くべきですよね。干渉や意見の押し付けは決して良好な関係にはなりません。いつかどちらかが爆発しますね。
皆さんがお互い尊重なさって頂き、これからもご家族仲良くお過ごしくださいます様にお祈り申し上げます。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ありがとうございます(*^_^*)
私は心配性だと、よく主人からも言われます(^_^;)

心配が心配を生んでいる。その通りかもしれません。
たぶん主人は、さらっと言ったつもりかも。それなのに私が深刻に考えて…。

でも、主人は同居する意思があるとお思いですか?

私はどうしたらいいのでしょうか?
お聞かせいただけたら、ありがたいです。

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