親しい友人ができない覚悟をきめたい
私には親しい友人がいません。
普通の友人関係であれば、隣に座るねなどといって隣に座ると思うのですが、隣に座っていいかと聞くと、だいたい変な表情やえっという顔をします。
授業での二人席であるので、他に座ってほしい人がいるからだと思うのですが、それが結構話す間柄の友達であってもです。
私としては、依存したいというよりも、親しみを覚えて友だちだから一緒にいたいという気持ちでいるのですが、向こうの(友達の)気持ちが私に向いていなかったり、私の嫌な性格を感じ取っているからだと思います。
気を使いすぎるという自分の性格もあるのですが、わがままで自分勝手でもあるので、気を使わないと協調性がひどいことになってしまいます。そういった嘘っぽさがあけすけて、余計、人が離れるのではないかと思います。
ここからが本題です。
最近、人に好かれることをやめました。自分だけでなく、周りだって自分勝手なのではないかと思ったからです。
あまり世間からはみ出ることがないような、適度な自分勝手を意識して、過ごしています。
自分が相手と仲良くしたいと思っても、向こうに気がなければ無理だと学んだからです。自分だけが期待して傷つくのが嫌だからです。
会話に入っても、私の話を聞いていないなという違和感がすごく嫌です。
周囲の友人や人の、態度や表情を無視するというか、気づかないふりをすると自分らしくいられる気がします。
自分が相手の気持ちや空気がわかると思い込んでいるからかもしれないですが。
友人の態度が前はすごくストレスでした。
適度な距離感が大事だなと思います。
親しい友人何人かでも、発言したい気持ちは押し殺していた時期がありました。喋れないだけかもしれなかったかもしれませんが。
これから親しい友人はできないと思います。もう覚悟を決めていきたいです。
一人でも寂しくならない一言をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自灯明 法灯明
こんな実験があります。
二枚の絵を用意します。
①真ん中の人は笑顔、周りも笑顔
②真ん中の人は笑顔、周りは怒り顔
さて、真ん中の人は幸せでしょうか?という質問をしたところ、日本人の多くは「②は幸せでない」と回答。
ですが欧米人は「どちらも幸せである」と答えたそうです。
理由は「どちらも笑っているから」…
日本人も少しはこれくらいシンプルに物事を考えていけるようになったほうがいいのかもしれませんね。
前置きが長くなりましたが、寂しくならない一言ですね。
「自灯明 法灯明」って言葉はどうでしょう。
この言葉はお釈迦さまが入滅される前に、弟子たちに説いた言葉です。
「これからは自らをより所にし、法を道しるべにしなさい」という意味です。
「どう生きても冥途の旅路は一人」なんて言います。
ですが、やはりそれだけじゃ不安はあります。
「こう生きたらいいよ、こう進んだらいいんだよ」って示してくれるだけで、人は一人でも歩いていけます。
私たち坊さんは、その示す役割をお釈迦さまの教えである仏教にしているってことです。
もくさんもどうですか一緒に(^_^)ノ
その時は友達なんてものじゃなく、同士・仲間ですよ♪
質問者からのお礼
こんにちは!やさしい言葉をかけてくれてとても嬉しいです。
なかなか自分を持つのは難しいですね。思い込みかもしれないけれど、自分の好意が分かりやすい形で返ってこないのが嫌だったのかもしれません。
自分の心に素直になっていきたいと思います。
周りの環境に合わせて強くなるのは悪いことではないと信じたいです。
最近寒くなってまいりましたので、お
風邪を召されないように気をつけてください。
ありがとうございました。