生死不明
子供が生死不明となり 1ヶ月以上過ぎました。
所持品もすべて車内に残しており、その車自体も 本人の生存が かなり厳しいと思われる場所で発見されました。
自死と事故の可能性があるとは言われておりますが、今の所、断定はされておりません。
生存の奇跡も願ってはおりますが 一方で 子の身を案じるだけで、何もせず、このまま49日が過ぎてしまっても いいのだろうかと思います。
死亡の確率も高い中 このまま発見されるまで様子をみていてもいいのでしょうか?(発見されない可能性もあります)
死亡していた場合、葬儀も供養もしてやっていないことになります。
戒名もなく、子供は成仏できず さらに苦しんだり、闇の世界をさまよったままになるのではと気持ちが落ち込みます。
死亡確定を願っている訳ではないのですが、現実、不明から49日を目の前にし、仮葬儀だけでもした方がよいのか 7日毎の法要はなしでいいのか、戒名をつける事をお願いするタイミングはどうすればいいのか?そもそも49日と仮葬儀を一緒にしてもよいのか?
今後も子供の身体が見つからない事を想像すると、子供の行く先がとても心配です。
何か出来る事があるのではと、焦りと迷いと子供への思いで途方に暮れています。
菩提寺様には相談しにくい状況です。
どうぞお助け下さい よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間の側の行為によって成仏する、しないは変化しません。
お辛い状況と思います。
もし、仮に息子さんが亡くなられていたとして、葬儀をまだしていない、七日ごとの法要をしていない、戒名がまだないことによって、息子さんが成仏できない、ということはありません。
他宗派の思想には、詳しくないのですが、浄土真宗では、成仏の因は、すべて仏(阿弥陀如来)の側にあります。
人間の側の行為の欠如によって、成仏できないということはありえません。
では、葬儀、七日ごとの法要、49日の法要は、なぜ行うのか?
これは、大きく2つの意味があります。
ひとつは、生きている人間の側が、ある人の死をきっかけ(縁)として、仏法を聴聞するためです。
もうひとつは、グリーフワークです。
悲しい体験から回復するために、葬儀から49日まで、七日ごとに法要を行うことは、臨床心理学、精神医学の観点からみても、理にかなったことだと思います。
法名(浄土真宗は戒律がないので、戒名とは言いません)は、仏弟子としての名前です。
本来は、法名は生きているうちにつけるものですが、現在では、生きているうちに法名をつけてもらう人が少ないので、死後、法名や戒名をつけてもらう人が増えたということです。
これも、法名や戒名をつけてもらっていないから、成仏できない、ということはありません。
お辛い状況だと思いますが、多少なりとも参考になれば幸いです。
念仏を唱えてください
大変お辛い状況なのですね。
なんと言っていいのか、言葉もありません。
とにかく慌てて供養しなくてもよいと思います。
戒名も葬儀もずっと後で構いません。
それが無ければ成仏しないということは無いのです。
宗派にもよりますが、もし浄土系ならば、
毎日念仏を唱えてください。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…と
生きていれば多くの諸仏に守られ、命が尽きていたなら阿弥陀仏により極楽浄土に生まれるのです。
それに、ご先祖様が見捨てるはずがありません。
きっと、良き方へと導いてくれます。
他宗であれば、菩提寺に遠慮なく相談してください。菩提寺は檀信徒のためにあるのです。
困った時にこそ相談してください。
深き情けの阿弥陀仏よ、どうか息子さんをお導きください。南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
ありがとうございます。
頂いた言葉が、心の隙間に染み込みました。
子が 暗闇の中、孤独に彷徨っているのではと 焦る気持ち、張りつめた気持ちを 瞬間でも、暖かく包んでいただいたような気が致します。
回答に感謝致します。