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坐禅的見地を絡めた詩を書く毎日を送っている 「細胞は一秒毎に生まれ変わってるから常に新しい自分」 これは全く誤った見解なのに持ち出す人がいる 法身の自覚を得ず語るからこうなってしまう 人の常識や営みから離れ切った自己を見出していかねばならない 私の「一日」「他人」「世間」「呼吸」「信仰」 その消息を知ろうとするなら 修行者には坐禅や初関や冥想などは不可欠となるのだろうと感じる 「本来の面目は縁起しない つまり前人未踏に深く立脚し動かないことである」
潜行密用 愚の如く魯の如し 数息や随息を真剣に何年かやると 陽は輝かず風は吹かず雨は降らず 進歩無く退歩無く風景の変わらぬ場所に出る 扇に表裏無しという世界に出る
お坊さんからの回答 1件
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私も願っています
質問者からのお礼
聖章様
本当に申し訳ございませんでした。
恥ずかしくて、恥ずかしくて消えてしまいたかったんです。
出しゃばってしまったと…ずっと怖くて震えていました。
一在家信徒に過ぎず、出しゃばったと…僧侶の方達がいるのに出しゃばってしまった、情けない。
何でも、管轄がある。役割がある。
しかし一週間の命と聞いたら、居ても立ってもいられなかった。
何とかして、安心させてあげたかったんです…。
家族が余命一週間だと言われたら、僕は泣いてしまいます。
何とかして安心させてあげたいと、家族の方は思うはずですから。
貴方の一言に救われました。僕は浄土と禅を中心に勉強してますが、浄土の方が好きです。
念仏なら、病に臥した人間でも唱えられる。
口が開かずとも心で唱えられる。
口でも心でも唱えられないならば、他者が傍で唱えられますから。
大乗仏教が大好きです。
この世界のどこかで南無阿弥陀仏を唱える人たちがいると思うと、胸が高鳴って嬉しくなります。
聖章様、貴方の事が好きです。応援しています。有難うございました。
南無阿弥陀仏