生きているのが虚しいです回答受付中
またご相談をお願いしたいです生きているのがむなしいです
子育てが落ち着いてきたせいなのか、年齢のせいなのか分かりませんが
そのうち死ぬのに生きていても意味がないしむなしいという気持ちで一杯です
周りの人たちや他の相談サイトで相談しても
「趣味を持とう」とか「目の前の仕事を一生懸命やろう」とか
「限りある人生を後悔せずに生きよう」など言われましたが全然元気がでません
だんだん相談する事にも疲れて来ました
親身に相談に乗ってくれているのに申し訳ない気持ちです
最近はやる気が出なくてぼんやりしている事が多いです
楽しい気持ちになってもどうせまた辛い気持ちになるのだと思うとやる気も起きません
生きていたくないけど死にたくもないという気持ちです
生きている苦しみから解放されたいけど死ぬのは怖いという気持ちの板挟みです
最近は時間がたつことにも恐怖を感じて来ました
生きて死ぬ事を受け入れて穏やかに過ごしたいと思いますが苦しいです
安心したいです
子供の頃からうっすらとあった生まれてきてきた事に関する絶望感が強くなってきた気持ちです
とりとめもなくなってしまいましたがよろしくお願いいたします
話を聞いてくれてありがとうございます
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そのままを受け入れてください
みちる様、このようにお辛い気持ちを打ち明けてくださったこと、それ自体が大切な一歩です。どれほどの思いを抱えてここまでいらしたか、その深さに寄り添いたいと思います。
「むなしさ」や「絶望感」は、本当に心を重くしますね。この感情は誰しも抱く可能性がありますが、それが強くなると「どう生きればいいのか」と、ただ日々を過ごすことさえ苦しく感じることがあると思います。それでも、ここまで歩んできたご自身を責めることなく、「よく頑張ってきたね」とそっと声をかけてあげてください。
仏教では、人間の苦しみを「生老病死」という避けられないものとして受け入れます。「むなしさ」や「不安」はそうした苦しみの一部であり、それを感じることも人間として自然なことです。特に人生の転機では、自分自身とより深く向き合う瞬間が生じます。今の想いも、そのひとつかもしれません。
周りからの「元気を出して」といった慰めが届かないときもあります。それは全く無理のないことです。今、みちる様に必要なのは無理をして自分を変えようとすることではなく、そのままのご自身をそっと受け入れることだと思います。「生きているのがむなしいよね」と、自分の感情に優しく話しかけるだけでも心が少し軽くなるかもしれません。
「安心したい」という願いは、深いところから湧き出る大切な気持ちです。焦らず、ほんの小さな喜びを見つけながら進むのも良いと思います。たとえば、静かにお茶を淹れたり、朝の陽ざしを浴びて深呼吸をしてみたり。そんな一瞬一瞬の小さな穏やかな時間が、少しずつ心に安らぎを与えてくれることがあります。
また、周囲の人々への感謝を感じて「申し訳ない」と思うみちる様は、とても優しい心の持ち主です。その優しさを少しだけご自身に向けてみてください。「こんな気持ちになっても、それでいいんだ」とご自身を許すことが、安心の第一歩になるかもしれません。
ここまで生きてこられたみちる様の歩みを尊く思います。どうか、何も急がず、自分に優しい一歩ずつを大切に進んでください。穏やかな瞬間が、きっとまた訪れます。心からお祈りしています。合掌