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 貪欲 人として …煩悩とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 39

 いつも気づきを教えて頂き有難うございます。受験生の息子の机上に
子どもなりに目標をかかげ[貪欲に!今は脱,恋愛至上主義,不動心〉それを見て、ぼんやりと自分の煩悩は…幼い頃の無邪気な自分に戻りたいなぁと思い出しながらもクスッと笑ってしまいました。日常を過ごすなか煩悩だらけの日々、感情をバランスコントロール?!しながら出来るだけ丁寧にと生活しています。  
貪欲,煩悩と 生きてくなかで、うまく付き合っていくには、ハスノハのお坊さま方は どう過ごされていますか? とりとめもない質問になりましたが教えて頂ければ幸いです。

2016年10月18日 12:09

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩とは渋柿の渋。渋を上手く生かせば実り多き人生に。

もっくぅさん、初めまして。

煩悩に悩まされる人間はあなただけではありません。私もです(; ・`д・´)

煩悩ゆえに人は苦しみ、救いを求め、教えを求めます。

煩悩ゆえに苦しみ、人は成長します。

煩悩ゆえに悟りの道へ歩もうとします。

煩悩も悟りへの道の入り口であり、成長の種であり、日々を生きる力と言えるでしょう。

生身の人間にとって煩悩を消し去ることはできません。

では、どうするか?

無理に消そうとするのではなく、どうしたら活用できるかを考えてみてください。

よくある例えですが、煩悩とは柿の渋のようなものです。
渋柿はそのままでは食べれませんが、吊るして干すと干し柿となり甘くて美味しく栄養価もある素晴らしい食べ物となります。

煩悩も同じ。上手く生かせば生きる糧となり、人生に彩りを添えます。

具体的な煩悩の活用法ですが……

私の属する真言宗の教え、真言密教には「五大願(ごだいがん)」という大切な五つの誓いがあります。

その二つ目に「福智無辺誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)」という誓いがあります。

その意味は、煩悩を消し去るのは無理だから、肯定して集めよう、そして集めたものを人々の為に使おうというものです。
簡単に言えば、「福」は食べ物や衣服、財産などの物質的な恵み、「智」は知恵や思いやり、優しさなど精神的な恵みを表します。

集めたものをそれらを必要とする人に分け与えるというのが密教の教えです。

他人に分け与える気持ちを忘れなければ(独り占めする心、貪る心を起こさなければ)、どれほど集めても構わないのです。
集めていくうちに、自分にとって本当に必要なものがわかってきます。そうすれば、自然とそれ以外のものを他人に与えることができるようになり、互いを尊重し、喜びを分かち合う共生の姿があります。

溺れば人生を翻弄する煩悩ですが、より良い人生をおくる為に活用することができるのも煩悩です。

煩悩を車のガソリンのように上手く活用して人生という道を走り抜いてください。
いい天気の時もあれば悪い天気の時もあり、良い景色もあれば、時に困難多き悪路を走る場面もある人生。ですが、様々な景色を味わい、なんだかんだで楽しみつつ前を向いて、道を走っていただければ幸いです。

合掌(^人^)

2016年10月18日 19:01
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有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...

不断煩悩得涅槃

人間は精神(心)と肉体からなっているとし、煩悩の原因を肉体に求めるのが①苦行主義、精神のはたらきに見るのが②修定主義です。

①苦行主義
旺盛な肉体のはたらきが煩悩をおこす→肉体のはたらきを最小限に抑えたならば煩悩は静まる?→断食や苦行を行う→かえって頭が朦朧として意識が確かでなくなり人間としての正しい判断を持てない→これじゃダメ

②修定主義
煩悩がおこるのは精神があるから→美しい花を見て美しいと思う、しかし同時に美しい女性を見て恋人にしたいと思う心もある→美しい花を美しいと思う心すら失うことが悟りなのか?→そもそもこの方法では心のはたらきを無くそうとする心をもなくしていかなければならない→どこまでいってもなくそうとする心が残り、頭の中だけの遊びになってしまう→これじゃダメ

そうなんです。煩悩はなくなりません。おっしゃる通り「生きてくなかで、うまく付き合っていく」必要があるんですね。
お釈迦様だって人間ですから覚りを得て、入滅に至るまでは煩い悩むこともあったでしょう。
しかしお釈迦様は自身が煩悩を持つ存在であることに目覚めたのです。正に不断煩悩得涅槃「煩悩を断ぜずして涅槃を得」の仏道です。

しかし現在では煩悩を断つことを謳う系の仏道もあります。それらを否定するつもりはありません。しかし煩悩がなくなるとも私は思いません。試しに悟ったとされる高僧の方の講演にでもいって質問の時にケチョンケチョンに否定する暴言でも吐いてみましょう。きっとカンカンになって怒ります。はい、瞋恚の煩悩です。
だって私が私の力だけで怒ってるんじゃないんですもの。怒るご縁がととのって怒らせていただくんです。それもまたご縁でしょう。

そうなんです。煩悩とうまく付き合う方法とは煩悩存在である私をまるごと包む仏様の慈悲に触れることです。仏様の願いに気づくことです。
自らが煩悩を抱え、真実に暗い「無明」の身であることを知り、この身このままで救われる道があることを喜ぶことです。

幼い頃の無邪気な私たちは全力で怒り全力で泣き全力で笑い、それらすべてを喜んでいたのです。
大人になって賢いフリをしている私たちは怒りは嫌だ悲しみは嫌だと自ら煩い悩み苦しんでいるのです。

追記
ちょっと難しかったですね…力んで悩むことなく「ありのまま」でということで。縁によってはどんなふるまいもしてしまう私なのですから。

2016年10月18日 15:54
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

吉武文法さま 有難うございます。
何度も回答を拝読し自分なりにみ砕きながらも…

 追記を有難うございます😌 ありのまま在るがまま我がまま まだまだハスノハに寄り添い頂きながらも 吉武文法さま有難うございます。

 沙門さま はじめまして。なるほどです😌
一字一句と読ませて頂きました。有難うございます。

 私の煩悩…というか…できるだけハスノハで回答をくださった方々の お寺に行き御参りすることです。こっそり手を合わせに行きたいんです。

「煩悩」問答一覧

煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

【暴言多め】ちくしょー!私は煩悩の塊だぞ!?

乗っけから乱暴ですみません。 ここでしか言えないので。周りの人は、 「怖いと思ったら、離れなさい。 それが今あなたにできる事」 と言います。 でも、私だって楽しみたい! 他の人みたいに、安心して遊びたいし、 歩きたいし! カワイイ子いっぱいいるだろ! 何で私なんだよー! 私からは、「とても感じのいい、 人から頼られやすい雰囲気」 「内面の良さが外面に」 出ているそうです。不思議です。 正体はこのザマですよ?描く絵だって 血生臭いし。結構物騒な事も考えて ますよ? 最近は、生来の防衛本能(霊感と 呼んでます)が大暴れしています。 一歩道を歩いて、男性とすれ違えば 下を向いて横目で警戒。 目を見なくても、 「こいつ、ヤベェぞ」 と頭の中で 警報が鳴ります。 いつ絡まれないか、手を出されないか。 現実、いきなり手を振って近づいて こられそうになった事もあります。 人混みに出て、後ろに男性が来れば、 ソワソワ落ち着きがなくなり、 睨みつけたり、徐々に離れたりと言った 目立った行動をとります。 あとは、防犯ブザーをちらつかせ たり、付属のレーザーライトを カチカチ点滅させてしまったり… これで、逆に話しかけられた事も あります。怖いんだよ畜生が! 要は威嚇です。 同性もしかり。私が前を通過すると、 目で追われたり。迷惑なんだよー! 最近は、この本能大暴れのせいで 今年2度目の風邪をひきました。 暴言三昧ですみません。 聞いて欲しかった、それだけです。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

光合成するペット(自然と煩悩)

私の中学生の時の「将来の夢」は、「動く植物を開発すること」でした。 一番興味があったのが、『地球温暖化』全般。一番、地球温暖化を促進されるのが牛のゲップと聞けば、「ゲップし難いエサ(植物)の開発」を、生き物(動物)が出すCO2を吸収しているのは緑(植物)だと習えば、「とんな場所でも行ける緑(植物)の生き物(動物)の開発」を、と考えてきました。 自分が排出するCO2は、自分のペット(動く植物)に吸収してもらい、酸素をまかなう。そういう世の中、地球に優しい生き方が出来る社会にしていきたいと思っていました。 それで、中学生の時も高校生の時も、農学部に行きたい!新しい環境作りに貢献したい!と思い続けていましたが、幸か不幸か、何故か勝手に出された推薦入試の願書→受かったら辞退出来ない受験に合格してしまい、長年の夢を変更するしかないという形で幕を閉じました。 でも、高校1年生の時に被災(阪神淡路大震災)した記憶のせいか、医学を学ぶのも楽しかったので、新たな道を歩む決意をしたのです。 そして、「只今」違う生き方をしながらも、ふとしたことから、また「動く植物」が必要なのではないかと思い、過去の自分の夢を思い出すようになりました。 西日本豪雨災害に遭ったからからです。もちろん、根本的には『地球温暖化』が背景にありますが、今回は『豪雨による土砂崩れ』でたくさんの尊い命が失われた背景から、人の手が入らない山、森の木々たちが、自分で動いて、土砂災害を防ぐ働きをしてくれたなら、少しは亡くなる方が減らせたのではないかと思ったのです。 でも、人間が、自然・地球をこうなるまで放置し、対策を練らなかったのもまた事実。 私は有馬温泉の近くに住んでいます。避暑地でもあります。が、最近、自分の部屋にデジタル式の温度計を置くようになり、自分の部屋の温度が、冬と夏で「なぬっ!!!」と思う程、寒暖差があることが判明しました。(昔と明らかに違うと肌でも感じられますが)。 この今年の猛暑、酷暑。北の端の1番涼しいハズの部屋の温度が、35度に到達しているではないですか。この前の冬には、部屋の中なのに氷点下になっていたのにです。 何故、もっともっと『地球温暖化』のことをちゃんと考えてこなかったのかと痛感している毎日です。 お坊さま達も、お寺さんの中で熱中症になっていませんか? 地球温暖化をどう捉えていらっしゃいますか?

有り難し有り難し 28
回答数回答 4

アカウントの『私の煩悩:』の変更

初めてhasunohaを訪れた際、アカウントに『私の煩悩:』を記す欄があったので、何となく、ふと思い付いたことを書きました。 私が書いたのは、『よく「未来は自らの手で切り開くもの!」と言われるが、未来に希望が見出だせないでいる。』というもの。 ただ「解答用紙に、何か書かないと」というような思いだけで書きました。いい加減な書き方をして、すみません。 しかし、訪れて10日ぐらい経った今、「何か違う」「なら書き直そう」と思いました。ある投稿を読んだのがきっかけです。ここからが、私が未熟であるからこそ生まれた煩悩になります。 新しい『私の煩悩:』 (来世なるものを自ら決められるのだとしたら)次は男に生まれてみたい、という煩悩が生まれたこと 変更理由:①私が今、女であるから。②私は男として生きたことがないから。③なってみなきゃ分からないことがあるはずだから。 以上。 しかし、来世に、また人間として生まれてくる可能性も確率も分からぬまま、容易くそんなことを言えた義理じゃありません。もし人間になれたとしても、今の、現世の「女」の記憶が残っているものでしょうか。 以前、私は『プチトマト』というタイトルの質問を致しました。「私の前世はプチトマトだ!」と小2の私が直感的に思ったことを書きました。ですが、残念ながら「プチトマトの記憶」はありません。ただ「ハッ!」と閃いただけだったのでしょう。 今は、煩悩も「心境の変化は日常茶飯事」と同様の仕組みではないかと感じております。 哀しくも、女の私には、男のことは分かりません。それと同じように、男の人も、女のことは分からないのではないでしょうか。 「どちらが有利・不利」など、両者を経験した者にしか分からないことです。つまり、「そんなこと言っても仕方ない」「誰にも分からないのではないか」と思っています。 そんなことに腹を立てているから、「怒という煩悩」が生まれてしまうのではないか、と、只今感じております。 しかし、まず性別が「男と女しかない」と思っていること自体、『無知』であり『偏見』『差別』ではないでしょうか。 この時代に「男になりたい」「女になりたい」というのは、短絡的過ぎるような気がしてなりません。それなのに、私の頭にムダな煩悩が浮かびました。 どんなご意見でもご批判でも、受け止めます。皆様のお心の内をお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

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