感謝しようというけれど、
食べ物、着るもの、住むもの、関わる全てが他の何かにも関わって、だからか感謝しようというけれど、
今生きていること自体に特別楽しいと感じているわけでもなければ、両親兄弟をいつも好いているわけでもない。いつも嫌っているわけでもない。
今自死しない理由はいずれは死ぬのが命だからという程度のようにも思える。
感謝とは、しないといけないものですか?私には、いまひとつ不自然な感情にも思えてしまいます。 そう思ってしまう自分が怖いとも感じますが、、高層ビルや排気ガスやと今の環境に求めていないものが、身の回りに多いせいかもしれません。感謝するのがまるでぶりっ子してるようにも感じてしまうのか、上手く書けませんが、
そもそも感謝とは何でしょうか?
ご鞭撻の程よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感謝は智慧の実践
別に感謝しないといけないわけではありません。感謝した方が賢いのです。よく無心と言いますが、人の心は空っぽにはなりません。常に自分の意思とは別の部分で何かしら感じています。その中で、他者の悪いところに目を付けるか、良いところに目を付けるかで人の幸せは変わってきます。
エレベーターに乗っていたら子連れのお母さんが入ってきました。「チッ、妬ましいな」と感じれば感じた分だけ自分の気分が害されます。逆に「あぁ、可愛い子だな」と感じれば感じた分だけ自分の気分がハッピーになります。それだけです。自分の心に返ってくるから、ハッピーベクトルの気持ちを持つことが賢いのです。
ンなこと言ったってヨシやろうで出来るもんではありませんよね。何故か?習慣だからです。猫背みたいなものです。心にも癖があります。だから昔の人は神仏を敬えと言っていた。リアルの人や物を相手にするとどうしても愛憎入り乱れてしまう。だから究極のアイドルである神仏で心の練習しなさい、感謝と敬意を養いなさいと、こういうわけです。
あと、感謝は苦労や辛抱、痛みの中で目の前が暗くなり、それからさらに目の前が開けるような感覚を得て分かるものです。
私はhasunohaに感謝しています。hasunohaの質問者さま方に感謝しています。hasunohaに来る前からヨソでQ&Aをしていましたが、皆さまご存知のようにQ&Aとは非常に荒れやすい場です。カルト信者や独学をこじらせた狂信者、釣り師、煽り屋、絶対八つ当たりするマン、他宗派はとりあえず蹴落とすマン…本当にいろんな人がいます。
そのような人たちは「いかに足を引っ張るか」を日夜研究していますので、放っておくこともままなりません。自然と本題に対する前提の反論までしか話せなくなってしまいますし、悪心の人と関わっていると自分の心がすさんできます。
でも、hasunohaはそういったことがない。質問者さま方の心にも慈悲が満ちています。結局、ここが大切なんですよね。霧の中を歩けばいつの間にか衣服が湿っているように、心も他人にじわじわ、しめしめ伝染するのです。だから感謝の心を持つ人のそばにいましょう…そういうことでもあるわけです。神仏を敬えというのは、そういうコミュニティに参加しろということでもあるわけですね。昔の社会ってホントによく出来てると思います。私たちも頑張らないといけませんね。
勝手に念じてます
あやめさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
「今朝、目覚めたことに感謝して一日を過ごしましょう」
「頂く食べ物に感謝して食事をしましょう」
「世界には衣食住もままならない人もいるのだから、感謝して生活しましょう」
どれも正しい言葉ですよね。
でも、正しいから自分の心に響くとは限らないし、「その通りだ」と思えるとは限りません。いえ、むしろ誰もがこういった言葉を肯定して生きていたら、そちらの方が気持ち悪いと私は思います。
あやめさんが、感謝の気持ちを抱けない、感謝することがぶりっ子してるよう感じるというのも、今のあなたにとって自然なことだと思います。感謝しなければいけない、などということもありません。
ただひとつ思うのは、自分が満たされている時に感謝の念は涌き起こってきやすいものではないか、ということです。私の勝手な想像ですが、あやめさんは何か満たされない思いを抱いていらっしゃるのではないでしょうか。
仏教に「四法印」という教えがあります。
・諸行無常→変化しないものは無い→あてになるものは無い
・諸法無我→絶対的な存在は無い→思いのままになるものは無い
・一切皆苦→上記2つを受け容れられなければ、全てを苦しみと感じる
・涅槃寂静→上記2つを受け容れられれば、全てが苦しと感じなくなる
お釈迦さまのように、この4つの教えを完全に腑に落とすのは難しいことです。けれど、あてになるものも無い、思いのままになるものも無いこの世を、なんとか生きている。自分の身の丈にあった日々を生きている。
100%の幸せではないかもしれないけれど、自分の人生が自分にちょうど良い、と思えた時に自然と感謝の念が涌いてくるのかもしれません。
あやめさんが何かのきっかけで感謝の念に満たされた日々をお過ごしになれるよう、私は勝手に念じています。
★お礼文を拝読して
その時の気分によって、感謝できたり出来なかったりという自分に気づかれたのですね。徐々に「自分の答え」が見つかるよう、やっぱり私は念じております (^人^)
感謝する事によって大切さがわかるのでは
あやめさま、御質問の内容を読ませて頂きましたが、朝起きて元気で、衣食住で何の問題もなく1日を過ごしていける事が大切ではないでしょうか。当たり前だと思っておられますが、仏教で諸法無常という言葉がございますが、日々変化する状態がこの世の中ですが、突然避難しなければいけない状況になれば、本当に日々過ごさせて頂いている事が大切ではないでしょうか。合掌
質問者からのお礼
なるほどと読みました。
気分がいいときは簡単に感謝ができる、そしてその逆になる自分もあります。今すぐにはダメでもそのうち自分の答えを見つけるかなと思いましたが、
今ものこれまでにいただいた分も、お答え、ありがたく感じました。ありがとうございます。