死ぬほど苦しい
数ヶ月前、不倫相手と駆け落ちをしました。
私は独身で、彼が妻子ある身でした。
仕事も決まり、衣食住も安定してきた先日、彼が元嫁と連絡をとっていたことが判明しました。
元嫁は心身が弱ったと言っているらしく、彼が連絡をとることで、安定してきているとのことでした。私も元嫁、子どもたちには、申し訳ないことをしたと一生償いながら生きていくつもりで、養育費等も支払うつもりでいました。
しかし、彼は一緒に出てきた私とは関係を切り、一人で暮らしていると元嫁に伝えてありました。元嫁の安定のためだと。
元嫁との連絡は毎日、仕事中も家に帰ってきてからもずっと続いています。
それでも彼と一緒にいたい思いから、全てを受け入れました。
ですが、彼がいつ家族のもとに戻るといい出すだろうとか、元嫁が本気で帰ってきて欲しいとすがってきたらとか、不安で不安で仕方なくなってしまいました。
過呼吸や拒食傾向の身体の不調も出てきました。毎朝不安感に襲われ、不安過ぎて何も手がつかなくなってしまい、家事すらまともに出来ていません。
自傷や自殺の方法さえ検索してしまいます。
因果応報というものなのでしょうか?
この苦しみからは、逃れられないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
(^<^)よかったじゃないですか。
自問自答してみましょう。
いずれ戻ってしまったとします。
いくら好きとはいえ。自分以外の存在を自分のものにできるだろうか。
彼と結婚しても彼がわたしのものだろうか。否。
彼は結局、愛してるとか口では言いながら彼女の所に戻っていった。
その行動が言葉より真実の答え。
今後、結婚したからって、自分のもの?今でさえダメなのに今度自分の思い通りになるだろうか。人間どこまで人を愛して、何度も関係を重ねたとしても、どこまでいってもそれぞれ独立存在で「私」ではないから、結局自分を生きる他ないのではないだろうか?
それより何故苦しいのか?
私は、彼を愛していたのではなく、彼を欲していたからなのだ。つまり自分を満たすことを愛と錯誤し、彼を求めていた欲なのだ。その証拠が、この苦しみ。私が裏切られたことが苦しいのであって真実の愛とは言えない。現に今、苦しいという事こそ、すべてを物語っているではないか。思い通りにならなくて苦しい。では、何故苦しいのか?
彼の幸せだけを純粋に求める高尚な愛ならば苦しみはないはずなのに…?
ということは、この苦しみは…?愛のラベルの下には我欲の文字が見えてしまう。こんなことで命を絶つとしたら私は何て愚か者だろうか。
さて、ここで一息入れましょう。
彼と一緒になれば奧さんから夫を盗み、子供から父親を盗むことにもなり、一生、怨まれ、罪悪感に苛まれるましょう。
いつか奧さん、子供に刺されるかも&親も反対。彼が死んだら相続問題でおおモメ。
今の調子じゃ二人の妻を抱える自己愛男。よって、このまま別れて結果オーライ、結果的に良いことをした、良かった、いい経験になったと考えましょう。
よって私は、奥さんの夫、子供の父を奪って、家族に悲しい思いをさせる事をせずに済んだ。彼の本心も分かった。私も罪をこれ以上つくる事をしなくてよかったんだと思うことです。
不倫・略奪愛は、あとあと、ごたごたが待っています。
真実の愛は、相手がどうであれ、自分が苦しむことはありません。
苦しみがあるのは、実は自己愛、我欲なのです。
これを機に、本当の愛に目覚めるきっかけに致しましょう。
今から人生再スタートです。
執着心が苦しみの原因だと思います
妻子ある男性との駆け落ち。非難されることは有っても、褒められることはまず無いでしょう。それ相応の覚悟を持って、行動に出られたことと思います。その代償として、現在の苦しみがあるのだと思います。
以前、妻子ある男性が愛人との恋愛について、このhasunohaに相談したことがありました。あなたのように駆け落ちにまでは至っておりませんが、婚姻関係を破綻させ、家庭を崩壊させる危険をはらんでおりました。その方に対して「自業自得という言葉を知っていますか?」という題の回答を致しました。http://hasunoha.jp/questions/541
かなりきつい表現の回答ですが、kmttt様にも当てはまる部分があるかと思います。Kmtttさんにとって不愉快な回答かもしれませんが、苦しみの原因を考えるには現実を直視するしかないと思います。
>
私も元嫁、子どもたちには、申し訳ないことをしたと一生償いながら生きていくつもりで、養育費等も支払うつもりでいました。
>
「申し訳ないことをした」「一生償いながら」と書いておられますが、冷静に考えてみて下さい。養育費を払うくらいで償いになるとお考えですか?かなり自分に都合のいい「償い」だと思います。また、ご質問を読むと、彼の気持ちは奥さんや家族へも傾いているように感じます。
今あなたを苦しめている原因は2点あると思います。
①は、彼を奥さんから奪って自分を愛し続けさせたいと言う執着心。
②は、彼の心を自分の方に繋ぎとめたいが、彼の心がおくさんの方に向いているのではないかという
不安。
今後あなたの取るべき選択肢は、ABCののいずれかだと思います。
A、今のまま、彼と同居生活を続ける。
B、彼に奥さんと離婚してもらい、彼と入籍する。
C、彼と別れる。
Aの場合、彼が心変わりしないか常に不安を感じ、苦しい状態が続くでしょう。Bの場合、彼が応じるか?彼の奥さんが応じるか?かなり微妙なところです。これを実現するには、かなりの労力をようするでしょうし、却って彼との関係が悪化する可能性もあると思います。Cの選択肢は取りたくないでしょうが、Cを選択することが一番あなたを楽にしてくれると思います。これは飽くまでも私の個人的な意見ですので、kmtttさんの御判断にお任せします。少しでも心穏やかな日々を送られますことをお祈り申し上げます。
真の心の安楽を手に入れた時もその方と一緒に居たいですか
今、貴女は、その彼を受け入れられなくなってきています。
ですから、頭で理解できず、(理解したくないという気持ちかもしれません)無理が体に症状として表れているのではないでしょうか。体は正直です。
その彼が、元奥様に電話されている様子を見ても、何も感じない。それはそれ。
仮に彼が元奥さんのもとに帰ってもそれはそれと考えることができますか。
恋とはそういうものなのではないでしょうか。覚悟や約束でどうにかなることではなく、それらを冷静に見ていられるかどうかではないでしょうか。
恋は盲目と言いますが、冷静でいられなくなり、正しい判断(恋は永遠ではない。終りがあるということ)ができなくなってしまうのだと思います。
それらを踏まえ彼のことを冷静に見られるようになったときに、(想像ではわからないと思います。その境地に至った時)一緒に居たいと思える方かどうかが大切のように感じます。そこに答えがあるのかもしれません。
「因果応報」について
kmttt様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
これまでの厳しいご回答の内容は、叱咤激励、目を覚ましなさいという私たちからの「喝」であるとお考え下さいませ。
人生まだまだやり直せます。特にkmttt様は、ご自身で悪いことをしてしまっているという自覚がおありであり、仏教でも大切となる慚愧、懺悔の思い、反省の思いを持っておられるのではないかと推察致しております。
これで逆に完全に開き直られて、入籍や妊娠などを強引に、無理矢理になさられては、更に苦しむ方向へと向かうこととなって、ますます救いようがなくなってしまうことになりかねなくなってしまいます。
さて、少し悪いイメージにて使われています「因果応報」についてなのですが、仏教思想における一つの大切な理法であるため、これを機会に少し正しく知っておいて頂けましたら有り難くに存じております。
「因果応報」と申しますと、ややわかりにくいのですが、「因縁果」として、理解して頂けると良いかと存じます。
「因」とは「原因」(直接的要因)のことで、「縁」とは、「条件」(間接的要因)のことで、「果」は、「結果」のこととなります。
そして、「因果応報」とは、善き因と縁が調うと、善き果がある、逆に悪い因と縁が調うと、悪い結果があるということであります。
この世におけるモノ・コトというものは、突然に何もないところから生じたりするものではありません。必ず、モノ・コトには因縁があり、その結果として生成、生滅していくものとなります。また、その結果も何かの因縁となって更に結果となり、また更にその結果も何かの因縁となって・・と続いていく流れが無常というものとなります。
ここからが本題となりますが、貴女様が現に今苦しいという結果においても必ずその因縁があります。仏教では煩悩や無明(根本的無知)としてまとめて簡単に示しますが、まあ、その類によるものであるのは確かでしょう。しかし、もちろん、煩悩・無明を対治できれば、苦しみの無い結果に至ることができるということで、釈尊はそのための方法を多くお示しになられておられます。
このhasunohaへとご相談なさられたのは、誠に一つの善き機縁として、これからの善き結果へと向けて、更に仏教の学びを進めて頂けましたら有り難くに存じております。
川口英俊 合掌