批判的な人
職場の人間関係で悩んでいます。
今学校関係で働いています。
上司の方々はいい方達なのですが、同僚にあたる年配の女性との関係について悩んでいます。その方は私よりも少し早く今の職場に入りましたが、ほぼ同じ立場です。
その方は50代女性の方で、以前に今の学校に関連する仕事に3年ほど就いていらしたそうです。だからなのか、とても自分に自信を持っているようで、20年以上経験のある上司を含め、他の人全員に対して批判的なんです。直接的な言葉は使いませんが、あの人はこれができていない、この人はあれを知らなかった、等、常に批判的に物事を見ています。ですが、その批判もそこまで大きな問題ではないことが多く、なぜそんなことを言うのか疑問に感じます。
自分は何でも出来る、こどもたちにも人気があるすばらしい先生だと思っているようです。私は今の所とは違う学校関連の仕事に10年近くついていましたが、その方が仕事に関してまだ出来ていないなと感じることもありますが、口には出していません。
知ったかぶりも多く、今さっきみた情報をあたかも、知っていたような口ぶりで言うことも多く、辟易します。
またその人と同じプロジェクトをすることになったのですが、私の意見をことごとく否定されており、常に自分の意見や主張を優先されます。私の未熟な点はありますが、全てを批判、否定されると、かなり落ち込み、憂鬱です。
知ったかぶりで批判的なその人に対してかなりストレスがたまっています。常に人を見下し、批判的で失礼な発言に私の精神状態も悪くなってきています。何を言われてもスルーしようとは心みてはいますが、心の中では反発して、それが態度に出てしまいます。
他にも先生方がいて、迷惑をかけたくないので、気にしない方法を身につけたいのですが、どのようにすればいいのでしょうか。そ
・・・その方と違うクラスにいくことはできません。。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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かごの中の鳥
mnmntpさん、はじめまして。質問を拝読しました。
mnmntpは学校関係で勤務しておられ、同僚の年配女性が批判的な態度を取ることがmnmntpさんにとって疑問であり、ストレスなのですね。
私も身につまされる話です。こういう方はたくさん見てきました。
そのときは批判的な人の存在がストレスで夜も眠れなくなります。どうにかして、その人が居なくなればいいのにと願ったこともあります。
しかし、その人が居なくなったとしても同じような課題がやってくるものです。性別を変え、年齢を変えて私の前に立ちはだかりました。
そんな時に、空海が書き残した文章を見つけました。
空海が大学を突然に中退し、出家宣言書として著した書物にこう書かれています。
「池で泳いでいる小魚は、海にいる大きな魚を見ることがない。かごの中の鳥は、大空を飛ぶ巨大な鳥のことを知らない。自分の知っていることだけが世界のすべてだと思ってはいけない」
なるほど、と私は納得したことを覚えています。私の前に立ちはだかった人は、反面教師だったのです。
まるで、mnmntpさんの同僚である年配女性が見せてくれている世界と同じだと思いませんか。
仏教では、自分の周りに居る人は何かを教えてくれる存在であると説きます。
mnmntpさんも、同僚の年配女性から学びがあるよう祈念しております。
優越感に浸りたいだけでしょう。
理解不能なガチガチな相手は、その相手の心理を理解することで和らぎメンマの如くソフトになります。
自分のやってきたことだけが真実で、自分だけ正しくて、それ以外の人は間違っているとか思っているのであれば、それを本当にそう実現したいだけなのでしょう。(無理ですが)
それを強行突破するために、立場や年齢、力を駆使してそれを押し通そうとしているだけです。
自分は正しい教団を展開するための始めの信者があなたなのでしょう。
ウチのお寺業界にもそういう子供っぽい人がいます。
私は、スルーしますが。
可哀想なオトナ、子供な大人だと思ってあげてください。
その子が欲しがっているものを与えてあげればいいのですよ。
その子は称賛や従順を求めているのでしょう。
そのばだけぺこぺこしていて、自分で気づかせればいいのです。
あなたのルールばかりがこの世の全てではない、ということを間接的に諭せばいいのです。
もちろん、変わることを期待してはいけません。
カブが急にニンジンになることはできません。(変わらんのかい)
だから、変わらないことを前提に、その人が関わる人を変えるつもりで、より良い影響を与えるためにもあなたが完全なヨイショマンにならないことです。
立場上、ヨイショや迎合しなければいけない場合があるとしても、それはあくまで本心からのものではなく、その人をしていつの日か気づかしめるための一助としてのナイストス、ナイスヨイショをするのです。
苦手な人はむしろ懐に入っていきなさい。
どのみち逃げられないのでしたら相互理解を高めるべく、相手の懐に飛び込んでゆくのです。
ケンカしても人生が終わる訳ではありません。
あなたがあなたとしてウソなく、無理なく、本心で生きていくためにもあなたのあり方は柔軟でありつつも、自分にウソをつかないことです。
質問者からのお礼
中村様 丹下様
ご回答ありがとうございました。
そうですね、人を批判して自分が優位に立っていると思いたいのでしょうね。
お二人のお言葉がぴったりです。
これからは、井の中の蛙、自分が正しい教団の教祖様、何かを教えてくれる存在だと思って、接していこうと思います。決して同じ所に立とうとはしないように気を付けます。
ありがとうございました。