子供との遊び方
今日、公園で知り合いの家族と子供を遊ばせました。
私と旦那は傍観者で遊ぶのを見守っていました。
ママ友達と、その旦那さんは、遊具(すべり台)で一緒にヤッホー!と楽しく遊んでいたり、ヨーイどん!といって、一緒に走ったり、芝生の斜面を一緒にゴロゴロ転がってあげたり、子供と一緒に遊んであげていました。
私もすべり台は2回だけやってみましたが、普通にテンション高くではなく滑っただけ。それだけで、他は、ママ友達家族を見ていて、『すごいなぁー。こうやって遊んであげるのが理想だよなぁ…』と自分たちを情けなく、またダメな親だと思いました。
私も旦那も、恥ずかしがりなとこがあり、真面目な物静かなタイプ。
友達夫婦は、子供と遊ぶのにテンション高めにかかわってあげる元気なタイプです。
私は、自分も旦那も、もっとこの夫婦みたく全力で遊んであげたら理想だけど、声かけや手助けなり、危ないとこはちゃんと見ているだけしかできていませんでした。
一緒に童心にかえって遊ぶのは性格的に恥ずかしいしできませんでした。
旦那に、あとあと、『あの夫婦みたく一緒に全力で遊んであげたらよかった…私たちはダメな親だね』といったら、よそはよそ、うちはうちで比較する意味がないし無駄だと言われました。でも、子供へのかかわり合い方で子供が今後よく成長するかどうか影響ある気がしてこわくて…。
私は、私たち夫婦のダメな面しか見れずに辛いです。
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親もいろいろ、子もいろいろ。
私は、幼い頃に、両親に外で遊んでもらった記憶など、ほとんどありません。
僧侶であり、自宅で別の仕事もしていた父は忙しかったでしょうし、母も、自宅で絵画教室を開いていたり、何かしら忙しくしていました。
よその家のご両親が、どのようにしていたかは、あまり知りませんが、それでも私は、なんとなく両親のことを誇りに思っていました。
家にはたくさんの蔵書があり、さらに、私が「読みたい」と言った本は、たいてい買ってくれたからです。
そして、夜にはその本を読み聞かせてくれたからです。
いろいろな性格のご両親がいるのと同じで、お子さんもいろいろな性格となっていくと思います。
ひょっとすると、一緒になって遊んでくれようとする両親が恥ずかしいと思うかもしれませんし、
静かだけれども、しっかりしているご両親のことを頼もしく思うかもしれません。
「この子の両親は、自分たちなんだ」という自信をしっかり持って、
泰然と、見守ってあげてください。
お子さんは、きっと、そういうご両親のことを誇りに思ってくれると思います。
外て恥ずかしいなら、自宅で楽しく遊べば
人目があるところでは恥ずかしいかもしれませんが、自宅で楽しく遊んであげてはどうでしょうか。
そういえば、赤ちゃんに対して「いないいないバァ」ができない大人もいると聞いたことがあります。
「いないいないバァ」って、けっこうテンションと演技力いりますしね。
少子化の時代ですから、親世代も、小さいときに兄弟や近所に小さな子供達がいない環境だったら、小さい子供達との遊び方がわからないのかもしれません。
でも、自分が子供の頃に楽しかったことをやってあげたら良いのではないでしょうか。
子供は、ゴッコ遊びも大好きでしょう。
人形などを使って、○○ゴッコをしてあげたら喜ぶでしょう。
また、面白クイズや、ギャグっぽい替え歌もおすすめです。
ボケは三回くりかえしましょう。同じボケを三回以上やると、子供は三回目から大ウケします。
(学生時代、子供達と遊んだり人形劇などを見せたりするボランティアサークルに入っていたときの経験談)
小さいうちは抱っこやおんぶ、お馬さんをしてあげるのが喜ぶでしょう。
自宅でトイレに行くのも、お馬さんごっこでトイレまで背中に乗せてあげたり、子供がトイレをしているうちに、親がかくれて子供に探させて「うわっ!みつかったぁ!」など、小さな笑い(ボケ)を毎日やりましょう。
隣の芝生は…
本文拝読しました。
子供との接し方についてはどんな状況でも比べたりして悩んでしまいますよね。
私はムーミンさんと逆で、むしろその「全力で…」というパパママさんのタイプです。知らない子でも遊んだりします。駆けっこもするし、初対面なのにハイテンションで子供に絡んでいきます^_^
でも、それはそれで反省もあるのですよ。
私はむしろ喋りすぎ、構いすぎでドン引きされることもあります。
ドン引きだけならまだしも、勢い余って子供と鬼ごっこして激突してしまったり本気で遊びすぎるがゆえに手加減せずに鬼ごっこでも何でも子供に勝ってしまって泣かせてしまうことも…
その度に『もう少し様子見なから遊べたらなぁ』と反省ばかり。
だからむしろ、ムーミンさんみたいなタイプが羨ましいですよ。私にとっては。
大無量寿経というお経の中に『田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。』という言葉があります。田んぼが少なければもっと作付け面積があれば豊かに…と思う反面、多ければ多いだけ手間もかかるし、気候が荒れれば心配する部分も多いのに手が回らないのです。
そして、家が小さい人は大きい家が欲しくなるし、大きい家の人は若いときは良いのですが、歳をとったり病気をしたりするとその大きさを持て余すのです。
つまり隣の芝生は良く見えるものです。
私みたいなやりすぎ構いすぎな親も、それはそれで反省ばかりの日々なので、どうかご心配なくww