hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

尊厳の保持、尊重とは何か

回答数回答 2
有り難し有り難し 10

いつもお世話になっています。
長文失礼致します。ただ今介護の資格を取得するため勉強中です。そしてグループホームで職場実習をうけているのですがそこで疑問を感じました。

認知症で段々とわけがわからなくなってしまうならば「その人が望むのならば」その人がまだ頭クリアなうちに、その人がその人らしくいられる内に亡くなった方が幸せな場合もあるんじゃないかと感じました。
生きることが必ずしもいいのか、死ぬことで保たれる尊厳や救われる心もあるのではないかということです。特に介護の環境がよくない場合は尚更です。

そう感じた理由は
実習中に入居者様から殺してくれない?と頼まれたことがあります。どんどん馬鹿になっていくと仰っていました。その時の不安そうというか悲しそうな顔はとても印象にあります。
認知症だからそういう不安等の思いも忘れてしまうのかもしれませんが忘れてしまうからいいのだろうか?と思います。
そして介護の環境です。自分の実習先では残念ながら不適切ケアと思われることも一部ですが見受けられます。不適切ケアの背景もあるのだろうけどいかがなものかと思います。そしてそんな不適切ケアが行われている中では尊厳は守られないのではないかと思います。
生きていてそういう環境におかれるならば頭がクリアなうちにできることなら慣れ親しんだ我が家、自分の部屋などで死ねるほうが幸せな場合もあるんじゃないかと思いました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生活習慣の尊重が大事でしょうね

認知症の患者さんは毎日苦しみや不安でいっぱいですから、できれば認知症にならずに死にたいものですね。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の尊重を考えるうえでは、やはり、生活習慣の尊重が重要でしょうね。
介助や介護が必要になったとしても、今までどおりの生活習慣を続けたいものでしょう。
何時に起きて何時に食事をするとか、行きたいところに行ったり買いたいものを買ったりするとか、今まで普通にできていたことを続けられる老後が良いですね。

ただし、人間は、生きているだけで毎日苦しみや不満の連続です。
この世に生きているほとんどの人間は、死にたくないのに死にゆく人か、死にたいのに死ねない人のどちらかではないでしょうか。
ほとんどの人が、息を吸っている人か、息を吐いている人かのどちらかであるのと同じくらいに。
医療が発達して長生きできるようになったからこそ、認知症になる人が増えたのです。
それでも、いつかは肉体が壊れますから、それに伴う苦しみも、ある程度仕方ないのかもしれません。
でも、まだまだ医療は発達するでしょう。死ぬまで認知症にならずにすむ技術がいつか開発されるかもしれませんね。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

死を受け入れるに望ましいのは

拝読させて頂きました。大変難しい問題ですよね。自分自身の問題として向き合うべきことですよね。
可能であるならばご自宅で自身らしく死を迎えたいところです。ですが世の中はなかなかそうはさせてもらえません。
『看取り先生の遺言』岡部医師の生き様が書かれております。ぜひともご一読頂きたいと思います。
私もできるなら身近な方々と共に自宅にて自分の人生を全うしていきたいと思います。
人間環境が変わると対応することは難しいです。まして年をとって覚えることは無理かと思います。どんなに優れた環境を整えられても本人が慣れない場所では適応できませんからね。
お世話をする方々もサポートできる体制で、やはりご自宅で死を迎えることが望ましいです。
そして周りの方々がしっかりと死を受け入れることができるのが自宅での死だと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

「生きる意味」問答一覧

この事実と過去を忘れたいです

母は私を産むと同時に病気で亡くなりました。そして私はその母の”体の弱い”という部分を残していきました。 父は遊び人で、私は放置されるか、毎回違う知らない女性が家に来て暴力を振られていました。 私が生きてるのは祖母のおかげ。よく父が家にいない状態が続いたときにたまたま祖母が急に来る日があり、育児放棄に気づいたらしいです。 そこから祖母の家と父の家を行き来することが増えました。簡単に説明します。 例えば最初、祖母の家に行ったとします、そして2か月後に父がまた新しい女性を連れてきて父の家にまた戻されます、ですがDVでまた離婚します。そしてまた祖母の方に行く方式のことです。 学校の皆とも何もかも違くて勉強も転校でわからないしいじめられるし家に帰ったら殺されそうになるし、私は居場所がなくて、逃げれるのは祖母の場所、だけど小4で膵臓癌で亡くなりました。だけど涙が出ません。 そして父の兄のところに2日間泊まりました。私の初を強制的にとられました そして父のもとへ行き、小5の時に父のDVはばれ、父は刑務所へ。 私は児童養護施設に飛ばされて、施設ではいじめられ職員も見て見ぬふり、施設から通う小学校でもいじめられ、中学に上がってもひどくなり、 「〇〇~!!きめーんだよ!反応しろよ!」 とかずっと毎日クラス全員に言われてます。クラスLINEでは私が入ってることを知らないかのように私の愚痴を言っています。私って嫌われ体質なんですかね。 この事実と過去を忘れたいです。文章力なくてすみません。 短くまとめました。回答してくれると嬉しいです。

有り難し有り難し 28
回答数回答 1

日々を過ごすための気の持ち方

30代の男性サラリーマンです。未就学の子供が二人いるのですが、幸い私の仕事がほぼリモートワークで家事や育児もかなりこなすことができています。子供たちは勿論大事なのですが、例えばお風呂に入ろうだとかやらないといけないことを声掛けしても無視したり逃げたりと、正直うんざり気味でかわいくないなと思うことが最近増えてしまっています。内心一秒でも早く成長して好きなことを見つけ、早く家を出て欲しいです。 夜は夫婦日替わりで子供を寝かしつけ、20時には自由時間になるのですがやりたいことも何も無く、少しスマホをいじって21時には就寝してしまいます。昼のうちは夜になったらあれをやろうとか考えるのですが、いざ子供が寝ると何もやる気が起きず、眠くなるまで虚無のような時間を過ごしてしまうのがここ数年の悩みです。 妻は夜遅くまでネット上の繋がり等で好きな時間を過ごしており、それも妙に居心地が悪いのも私が早く寝るようになった原因な気がします。 最近、子供への苛立ちや妻との距離感、やりたいことも皆無な日々を過ごすにつれ、早く歳をとってさっさと死にたいという無気力な諦めのような気持ちが強まっています。 そんな自分の感情に向き合うのも疲れてきて、最近はイライラしたり子供に怒鳴りそうになったらあえて感情を抑えて無表情でやりすごす術を身に着けたので少し楽になってきましたが、より一層諦観が満ちて悪循環に陥っている感じです。 仕事に打ち込めればいいのでしょうが、生来無気力な人間なので労働自体が好きではなくそれも難しいです。育児のままならなさと比べれば仕事のストレスは極めて些細で心身の負担にならず、家族を養うのにも十分な収入をいただけていることはことは唯一の救いです。 振り返ると幼少期より怪しい宗教に借金にとろくでもない両親のもとで育たことで、期待せず自分の意志を殺して生きるのが身に染み付いているのかと思います。 長々と書いてしまいましたが、私のような不平不満ばかりの無気力な人間はこの先何十年もどう生きていけば良いのでしょうか。自分が恵まれた環境にいることは重々理解しており、甘えるなというのが回答かもしれません。自分の気持ちを前向きに切り替えて頑張るしかなく、きっとこんなところで人頼みにするようなことではありませんが、家族や周囲の人にこんな甘えた相談もできず、何かアドバイスがもらえないかと思い相談いたしました。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ