お金は空 とは…
何気なく立ち読った本屋で帯に<お金は空>と衝撃的?!なタイトルに思わず手に取り拝読しました。昔から金の切れ目は縁の切れ目と離婚や相続などでお金は人を狂わせるのかなぁ、でも生きてくためのツールだし今は分相応?身の丈にあった生活をしてると思っていました。だけれど ふ と親の医療費、子どもの学費と、お金があればもっと余裕を持って(セカンドオピニオンや奨学金に頼らなく)してあげられる事もあるし悩み事も減るんじゃないかと思ってみたり。お金もまた煩悩の一つなのかなと。宝くじは楽しみに購入してます。年末、師走は何かとお金に振り回され生活しています お金は空とは…腑に落ちなく質問となりました。 hasunohaでお金のことを問うのは失礼になるかと思いますが…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お金も縁起し空である。
くぅ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「お金は空」と本の帯に書いてあったとのこと・・
本の中身の詳しい内容は分かりませんが、おそらくは、「お金へのとらわれ、執着を捨てるように」という意味合いがあるのかなと想像できます。
お金はもちろん大切です。生きていくために、生活するために、社会活動を営むために必要なものです。
お金というものも、色々な「因縁」(原因や条件)によって、その「価値」・「信用」が与えられているものであり、因縁次第によって、その「価値」・「信用」も変化していくものとなります。
つまり、実体として、変わらない、固定したものではなく、因縁次第で刻々と変動していくものであり、それに対して、あたかも変動しないものであるかのように、価値や信用を与えて、とらわれ、執着を起こすのは、よろしくないことですよ、という内容になるのではないだろうかと存じます。
もちろん、「空」だからといっても、何も無い、虚無というわけではなくて、あくまでも「固定的な、独立自存としての実体が無い」ということであって、実体は無くても、因縁により、お金に価値や信用があって、有効に社会で流通・使用されている以上は、当然に、私たちにおいても、必要で大切なものには変わりありません。
お金も、生きていくために、生活するために、社会活動を営むために、しっかりと有効に活用して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
お金の価値は、人間の頭で考えたフィクション
仏教では、「法は無我である」と言います。
「法」とは、簡単に言うと、心・頭で考えたこと、です。
「無我」とは、夢・幻みたいに実体がないこと、つまり「空」と同じ意味です。
法は無我である。人間が頭で考えたことは空であり、フィクションである。
お金の価値も「法」なので、無我で空です。
山羊や羊に1万円札を見せても、食べちゃうかもしれません。
あの、紙切れにちょっと細工しただけの物体に、1万円(人間が何時間か働かないと稼げないくらいの価値)があるなんていうのは、人間が頭の中で考えたフィクションなのです。
もしも、災害や戦争で食べ物が不足したら、農家の人に何万円持って行っても、キュウリ1本も売ってくれないかもしれません。
お金の価値とは、そのようなものなのです。
買い物したときにお店の会員カードに貯まるポイントなんかもそうです。
あのポイントを使う前に死んでしまう人はけっこういるらしく、その場合はお店の儲けです。
また、お店の会社が潰れたら、ポイントなんか何の価値もなくなる恐れがあります。
お金のために人生を不愉快に生きるのはバカげています。
お金がなくて困ることも確かにあります。
でも、お金がなくても、借金まみれでも、日常生活はそれなりに楽しめるのです。
頭で創り上げた不安や恐怖ではなく、今・この瞬間にリアルに危機があるか見るのが良いです。
借金まみれで死ぬしかないと言う人でも、今この1秒間だけ生きてくださいと言われたら、1秒間くらい簡単に生きられます。
1秒間生きられるなら、一生、生きられるかも。
質問者からのお礼
川口英俊さま いつも解りやすく回答頂いて有難うございます。禅とマネー仏教に学ぶお金との正しい付き合い方という本の帯です。ゆっくり読んでみます。
願誉浄史さま
お金のために人生を不愉快に生きるのはバカげている 身に染みる言葉を有難うございます。