押しつぶされそうです
私は小さい時からあるスポーツが好きで好きで
高校生になったら絶対にその部活のマネージャーになろうと思い
受験勉強もマネージャーになるっていう目標を叶えるために三年間頑張ってきました
入試に合格してマネージャーになれました
三年生の先輩はとても自分によくしてくれて部活は忙しかったけど好きなことに熱中できて毎日がとても充実してました
けれど二年生のマネージャーの先輩(1人)と
私を含め同期が3人いたのですが仲よかった1人の子が辞めちゃって2人になってしまい
残った片方のこがその二年生の先輩とものすごく仲よかったです
二年生の先輩と入った時からあまりうまく行かず
三年生が引退するとさらにうまく行かなくなりました
だんだん部活が嫌になってきてしまい毎日行きたくないと思いながらいっていました
秋頃あるきっかけをさかいにこれ以上続けたら好きだったこのスポーツ自体が大嫌いになりそうと思い
考え抜いた結果辞めることにしました
辞める際先輩と話し合う機会があい自分の悪かった点もたくさんあることがわかったのですが
それ以上に一方的に愚痴を言われさらにやる気も失ってしまいました
それからこのチームを素直に純粋に応援できなくなり
試合で勝ち進むたびなんとも言えない気持ちに陥ってしまいます
なんで自分はあの場所にいないんだろうなんで先輩との関係で部活を辞めないといけないんだっていう悔しさで毎日毎日押しつぶされそうです
自分が辞めて新一年生が入ってきてから急激にチームが強くなり
全国を狙えるまでになり、さらになんで自分はこんな空虚な時間を送っているんだろうって思ってしまいます
辞めてから違う部活に入り素敵な先輩や仲間たちに出会えあの部活にいては得られなかったこともたくさん得ることができ少しは前を向けることができたのですが
どうしても前の部活のチームの試合があり、勝つたびに応援できない自分が嫌で嫌でたまりません
同期が引退したら素直応援できるようになるのかな、と思うのですが考えても考えてもできそうにありません
いっつも負けて欲しいって思ったりしている
こんな器の小さい自分が許せないです
日本語おかしくてすみません
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自分を磨く期間だと思う
はじめまして。
「覆水盆に返らず」ということわざもありますが、辞めてしまったのならばもうしかたがない、すっぱり未練を断ち切ってしまった方があなたのためです。
論語にこんな言葉があります。
「天を怨みず、人を咎めず、下学して上達す」
恵まれていないときこそ、天を怨まず、人を憎まず、自分を磨け。
と言う意味です。
かにみそさんも、辞めるにはそれ相応の理由があったでしょう、納得できない理不尽さを感じることもあるでしょう、でもね、過ぎてしまったことをあれこれ思い悩んでも、あなたのためになるとは思えない。
はっきり言って時間の無駄だと思うのです。
野球選手のイチロ-は新人の頃、二軍に落ちたことがあります、成績が悪かったわけではなく、監督と折り合いが悪かったせいだと言われています。
けれども、彼はそこで腐ることなく練習を重ね実力をつけ、やがて復活して安打記録を打ち立てました。
結果的に二軍に落ちた一年間があったからこそ、その後の活躍もあるのだと思います。
お釈迦様は「怨みによって怨みが収まることはない」と説きました。
その部があなたが辞めてから強くなったから悔しいと?
たとえその部が弱くなって負け続けたとしても、やっぱりあなたは悔しいと思います。
きっと、どっちに転んでもあなたの気が晴れることはない。
縁が無かったものはしかたがない、事実を受けとめ、次に自分が出来ることを考えよう。
今は自分を磨く期間だと考えて、しっかり次のステップに備えよう。