「戒名」について教えてください
「戒名」について教えてください。
①何故「戒名」が必要なのですか?
②もし「戒名」をつけなかったら、どうなってしまうのですか?
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
絶対に必要ということではありません。
戒名は、戒律を守って仏道修行していくにあたってつける名前です。そういう思いがないなら形式的にも必要ありません。
わたしの浄土真宗では戒律が必要ないので戒名はありませんが、「法名」があります。法名は仏弟子になる心づもりがある場合に必要な名前なので、そういう思いがないなら形式的にも必要ないです。
(ちなみにわたしの法名は「釈智秀」です。)
ただ、どちらもまったく何も関係ない人でも、亡くなったときに、形式的に、つける場合が少なくないようです。そのときの遺族の方の思いとしては、
「この人に仏教が間に合ったか間に合ってないかわからないけれど、
とにかくこの人は亡くなった。
亡くなった人がどうなるのかわたしにはわからないけれど、
とにかく形式的にでも仏を目指すべきなのではないか?
仏になるためにはやっぱりそういう名前が必要なのではないか?
だとしたら、形式的にでも、仏教にのっとって、
つまり、僧侶につけてもらうのが良いのではないか?」
と考えてつけようと思うのかなあ、と思ってます。「みんなやってるから」という形式から入る場合も多いみたいです。そして形式から中身が、遺された方の信や態度が伴ってくる場合も少なくないように思っています。(希望的観測)
自称宗教学者のある方は「形式にこだわらないなら自分でつけてもよい」的におっしゃいますが、仏教的な興味も理解も素地も何んにもない方が、突然に自分だけで決める戒名・法名に、一体どういう意味があるのか、わたしにはよくわかりません。形式にこだわらないなら、いっそ、つけなくて良いんじゃないかと思います。
とにかく、宗教的なモノって、パッと見では意味の分からない形式的なものに思える場合でも、裏付けや位置づけ、意味づけがある場合が多くあります。2500年の伝統の中でわけわからなくなったものもあるし、きちんと生きているものもあります。知識が圧倒的に不足した状態で「要・不要」を云々しても詮無い場合が少なくないです。仏教に触れたことのない方が野狐禅の似非知識人に惑わされないように、僧侶はもっとしっかり、伝わるべきものがきちんと伝わっていくように、せめて邪魔をしないようにやっていかなければならないとの思いを新たにしました。
(お金の問題ならば、それはまた別の感じだと思います。)
仏道修行するための名前です
拝読させて頂きました。柳原師のおっしゃる通り仏教徒としての名前です。仏教徒としてお師匠様から頂く名前です。
戒名は仏教徒としての名前ですが絶対に必要なわけではありません。
仏教徒としての仏様の教えを受けて約束をしっかりと守り生きるためにと与えられるのが戒名です。
仏教徒としての約束つまり戒律を守りながら正しく仏道修行するための名前です。またその人の生き様を表しているのも戒名です。
その人を知るご住職様がその人らしい字を選びつけて頂くのも戒名の一要素ですね。
質問者からのお礼
柳原さま・石田さま・Azumaさま
お返事有難うございました。
「真実」を見極めるのは難しいことなのですね。
亡くなってから戻って来た人は、いないので「戒名」をつけてもらえなかったから、
「こうだったよ」と教えてくれる人は、存在しないのですものね。
要は、自分がどれだけ信じるか、全てが自己責任なのかも と思いました。
私には子孫がいないため、もし「戒名」をつけてもらえなかったら、
あの世で苦労してしまうのか等、少し気にしておりましたので、
専門家である、御坊様に質問させて頂きました。
有難うございました。