お寺での写真撮影の禁止事項。良くないといわれた写真について。
はじめまして。
姉と一緒に33箇所めぐりを去年からしています。
GWに竹生島に姉といきました。
竹生島の弁天様の幸せのダルマというのがあるのですが
その写真を撮り、わたしがブログにのせました。
知人がそのブログをみて
ダルマさんの写真に良くないものが写っているので
削除したほうがよいといわれました。
ブログも写真も削除はしたのですが。。。
よくよく考えてみたら
写真を撮ってくれたのは姉でした。
姉にも写真のデーターを消すように言ったほうがよいのでしょうか?
あと、その写真内容もお寺などに行き
みてもらったほうがよろしいでしょうか?
姉は去年のはじめ離婚をし
その後、33ヶ所めぐりをはじめました。
最初はどんな気持ちで
はじめたかはわかりませんが
今は、わたしと旅行気分で楽しく回っているので
このことを言うと、すこし気落ちするのではと心配です。
あと、あまり33ヶ所めぐりなどでお寺に行ったとき
写真などは控えたほうがよいのでしょうか?
(写真撮影禁止のところは守っていました。)
知人が人の怨念などがあるからよくないと言われたました。
長くなりましたが、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏心 悟りとは無縄無縛なり
ここに4人のタイプのおじーちゃんがいるとします。
①自縄自縛じーちゃん
②無縄自縛じーちゃん
➂自縄無縛じーちゃん
④無縄無縛じーちゃん
①ものには怨念がついておるのぢゃ。そんなものなんぞ映したらイカン、持ったらイカン、なんかあったらどーするのじゃ(怖)、と、ものに縛られるのが自縄自縛の人、一般ピープルじーちゃんです。占いにだまされるレベルの人、自分の縄で自分を縛るのですぢゃ。
②カカカ!ものには怨念なんぞついている訳がなかろう!ついてたら古本、骨董品、リサイクル屋さんなんてできるものかっ!…ナヌ?でもいわくつき…?ううう、やっぱりものに怨念がついとるような気がしてきたわい…。孫に何かあってもイカンしのう。やっぱり撮ったらいかん。捨ててしまおう。このジーちゃんは怨念がついている系の情報を一度聞いてしまったがために「怨念がついているのではないか」という思い込んで自分の中のセルフ怨念イメージを膨らませて、結局怨念イメージに憑りつかれて恐怖不安を起こし、それに縛られてしまう無縄自縛、つよがってもチキン・タイプです。
③何?いわく付きの物件とな?ハハハ、そこにネガティブな付加価値やた怨念やらのイメージ羅べルを貼り付けて、損ねてしまう人間がいるだけじゃわい。
そんなものに支配されるようでは、そのものの所有者とはなれん。浄めれば良かろう。ナムナムナム…どれ、もう除霊できたであろうか…。でも、縄をまだどこかに認めている半可通を、自縄無縛といいます。もともと無いものをあると認め、まだそれを観念的に眺めている分析的な理屈屋じーちゃんです。分かりやすく言えば、世間のルールがあっても、誰もいない赤信号なんぞはわたってしまえることですが、どこかしらうしろめたさがあるような状態です。このくらいに至れば、占い師や詐欺師にもなれます。(笑)
④さて、無縄無縛とは、そんな思いも本来無一物。どこにも無いという所にいたって、本当に思いから自由になって、その通りの事実だけを生きている人のことじゃわい。その力を得てはじめて、本当の除霊ができる人なのぢゃよ。
ものには、怨念などついていないと、あなたが知識的に知っていたとしても、恐れが出てくるならば、それが答えです。
33ヶ所なども以上の点を踏まえて自分の思いから、自由になってみることを念頭に巡られると良いでしょう。
お寺は浄化するところです
YKさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
YKさんのお姉さまと一緒に33箇所めぐりをされ、竹生島の弁天様の幸せのダルマの写真を撮り、ブログにのせたものの、知人が写真に良くないものが写っているので 削除したほうがよいといわれたのですね。
ただ、お姉さまにも写真削除をお願いすると気落ちするのは?とYKさんが心配しておられます。
また、怨念が付いているのでお寺の写真は撮らない方がよいのではないかと気になっておられるのですね。
なるほど。目に見えないことだけに心配ですね。
目に見えないもの(今回の場合は怨念)は残るものでしょうか。
確かに、果たせなかった想いが残り、怨念として人を苦しめるという話は聞くことがあります。
しかし、私は、お寺に怨念が渦巻いていると思いません。
なぜなら、お寺は気持ちを浄化してくれるところだからです。
YKさんも経験があるかも知れませんが、お寺に行くと理由は分かりませんがなぜか心がスッキリします。これは、何百年もの間に数え切れない人々が仏さまに手を合わせ心を通わせてきたからです。手を合わせるきれいな心が仏さまへ通じ、再び手を合わせる人へと還っていきます。
ですから、お寺に怨念が残ることはなく、きれいに浄化されている場所であると思います。
お姉さまの心もYKさんの心も、お寺の御本尊さまに手を合わせることによってきれいになっていきますよう祈念しております。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。
こころがとても楽になりました。
ほんとうにありがとうございます。