hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

煩悩

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

御釈迦様が教えたかったのは、煩悩に悩まされないためには、自分自身で煩悩の存在に気付き、自分の心の中に生まれた感情を観察して、自覚をした上で、感情に執着しないことを常にすれば煩悩に悩まされる事は少なくなるということでしょうか?
一切の煩悩を自己の中から消し去るのは、難しいですが、無意識に生まれた煩悩や自発的に生まれた煩悩など自分の心の中で生まれた煩悩に気付き、執着しなければ偏見のない純真な心で周りを見る事が出来て、真の人の気持ちが感じ取れて、自分を含む周りの人の心を幸せにするには何をすれば良いのか解る。これが悟るということになるのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが望むならば

拝読させて頂きました。
私はあらゆるものごとをあるがままに受け入れること、決してとどまらずに固執しないこと、それが己れの身体や周りのことであっても執着をしないことかと思います。当然自分の中に沸き起こる感情についてもその感情にこだわらないことかと思います。自分が我欲にとらわれず執着をしないならば周りのものごとも明確に見えて参ります。その中で正しいこと、悪しきことの判断もできてくるのではないでしょうか。
全てが因果関係で結ばれており単独で存在しているわけではありません。我はないのかと思います。
その執着や我欲から離れて真の安定した世界や状態があり続いていくのです。
なかなか受け入れることは難しいと思います。
あなたがこれから望むならば正しい仏教を学び正しい仏の智慧を学んで頂きたいと思います。
あなたがこれから心穏やかな安定した日々をお過ごしなさり、ご成長なさいます様にと仏様にご祈念申し上げます。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

いつ どこで 誰が煩悩にしているか を 気づいてください。

「煩悩に悩まされないためには、自分自身で煩悩の存在に気付き、自分の心の中に生まれた感情を観察して、自覚をした上で、感情に執着しないことを常にすれば煩悩に悩まされる事は少なくなるということでしょうか?」という質問ですが、
ちょっとだけ、いいえ。
「煩悩に悩まされないためには、自分自身で、いつ、どこから何でもなかった無害の思いが煩悩に切り替わっているかを知り、その原因である自分を自分と認める「自我意識」に気付き、それを色濃くせず、自分の心の中に生まれるあらゆる感情も本来、何の害でもないものであることをよく観察して、見極めて、自分の想念や感情によって、苦しみが生まれることのない心のあり方自覚をした上で、生ずる念に執着しないありかたで過ごせば、常に煩悩に悩まされる事はなくなる。」のです。ちゃんちゃん♪

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お言葉を頂来ましてありがとうございます。
仰って頂いた通りだと思います。とても心に響き、仏教を正しく学んでみたいと思いました。
私事になりますが、私には、先天性の気分障害の持病があります。
その為、幼少の時から、周期的に症状が出て、悩みもないのに気分も体も鎧を纏った様に重苦しく不安感や孤独感をよく感じていました。幼かったため、病気だと分からず、これが普通の感覚なんだと思ったこともありました。
我慢と忍耐を要する生活をする間に、症状が出ていない、普通の日々は、私にとってはキラキラしていて煩悩を殆ど感じない幸せな日々です。とても幸せを感じます。
これからも、治療を続けて、完治はしませんが、寛解という状態を目指したいと思っています。ありがとうございました。

お言葉を頂きまして誠にありがとうございます。仰る通りだと思います。負の感情への執着はいけませんね。まさに、煩悩だと思います。常に日々気を付けておきたいと思っております。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ