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煩悩

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有り難し有り難し 18

御釈迦様が教えたかったのは、煩悩に悩まされないためには、自分自身で煩悩の存在に気付き、自分の心の中に生まれた感情を観察して、自覚をした上で、感情に執着しないことを常にすれば煩悩に悩まされる事は少なくなるということでしょうか?
一切の煩悩を自己の中から消し去るのは、難しいですが、無意識に生まれた煩悩や自発的に生まれた煩悩など自分の心の中で生まれた煩悩に気付き、執着しなければ偏見のない純真な心で周りを見る事が出来て、真の人の気持ちが感じ取れて、自分を含む周りの人の心を幸せにするには何をすれば良いのか解る。これが悟るということになるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつ どこで 誰が煩悩にしているか を 気づいてください。

「煩悩に悩まされないためには、自分自身で煩悩の存在に気付き、自分の心の中に生まれた感情を観察して、自覚をした上で、感情に執着しないことを常にすれば煩悩に悩まされる事は少なくなるということでしょうか?」という質問ですが、
ちょっとだけ、いいえ。
「煩悩に悩まされないためには、自分自身で、いつ、どこから何でもなかった無害の思いが煩悩に切り替わっているかを知り、その原因である自分を自分と認める「自我意識」に気付き、それを色濃くせず、自分の心の中に生まれるあらゆる感情も本来、何の害でもないものであることをよく観察して、見極めて、自分の想念や感情によって、苦しみが生まれることのない心のあり方自覚をした上で、生ずる念に執着しないありかたで過ごせば、常に煩悩に悩まされる事はなくなる。」のです。ちゃんちゃん♪

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたが望むならば

拝読させて頂きました。
私はあらゆるものごとをあるがままに受け入れること、決してとどまらずに固執しないこと、それが己れの身体や周りのことであっても執着をしないことかと思います。当然自分の中に沸き起こる感情についてもその感情にこだわらないことかと思います。自分が我欲にとらわれず執着をしないならば周りのものごとも明確に見えて参ります。その中で正しいこと、悪しきことの判断もできてくるのではないでしょうか。
全てが因果関係で結ばれており単独で存在しているわけではありません。我はないのかと思います。
その執着や我欲から離れて真の安定した世界や状態があり続いていくのです。
なかなか受け入れることは難しいと思います。
あなたがこれから望むならば正しい仏教を学び正しい仏の智慧を学んで頂きたいと思います。
あなたがこれから心穏やかな安定した日々をお過ごしなさり、ご成長なさいます様にと仏様にご祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お言葉を頂来ましてありがとうございます。
仰って頂いた通りだと思います。とても心に響き、仏教を正しく学んでみたいと思いました。
私事になりますが、私には、先天性の気分障害の持病があります。
その為、幼少の時から、周期的に症状が出て、悩みもないのに気分も体も鎧を纏った様に重苦しく不安感や孤独感をよく感じていました。幼かったため、病気だと分からず、これが普通の感覚なんだと思ったこともありました。
我慢と忍耐を要する生活をする間に、症状が出ていない、普通の日々は、私にとってはキラキラしていて煩悩を殆ど感じない幸せな日々です。とても幸せを感じます。
これからも、治療を続けて、完治はしませんが、寛解という状態を目指したいと思っています。ありがとうございました。

お言葉を頂きまして誠にありがとうございます。仰る通りだと思います。負の感情への執着はいけませんね。まさに、煩悩だと思います。常に日々気を付けておきたいと思っております。

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