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~してもらってもいいですか?

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最近の若い子(に限らず同年代、少し年上も)の『~してもらってもいいですか?』という言い方がすごく気になってしまいます。

特に仕事で、立場上、下の子(でもお互い基本的に敬語で話しています)に物事を頼まれることが多いのですが、『~してもらってもいいですか?』と言われると、ついイライラしてしまいます。
もちろん本人たちに悪気はなく、いいやすい言い方をしているだけ、というのはわかってるんですが・・

注意するほどのことではないのかもしれませんし、私も100パーセントきれいな日本語を使えている自信は全くないのですが、この言い方だけはどうしても、気になってしまうし、日本語の乱れはこのままどうなっていくんだろう、と思ったりしてしまいます。

注意するべき(角を立てないように・・難しいですが)でしょうか?気にしてしまう私が神経質なのでしょうか?

お坊様のご意見をお聞かせください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ラストサムライ

それがし、武蔵野国狭山の地安穏寺小住丹下覚之進でござる。
米国、英国でも「マイネームイズ◌◌」というのは、「拙者、◌◌でござる。」ぐらい古い響きがあるそうですね。
「ことのは」といふものは、時の流れと共に人の手を経て様々な形に変化するものでござるな。
「~して頂いてよろしいでしょうか」「~して頂けないでしょうか」の方が、それがし、しっくりくるものにて候。
ですが、それよりも前の時代におひてはさらにとらでぃしょなる、古風な表現があった事でありましょう。
そして、その言葉の使われ方が変化しゆく際にも、質問者様同様、「(-。-)これはおかしい…」という気持ちになられた方があまたおられたことでありましょう。
ですが、その感性は間違ってはおりませぬ。
やはり、流行り言葉や、変なものは変なものなのです。
だから、正伝はちゃんと残る。
あなたは、ちゃんと正伝を説けばよいでしょう。
そして、その中で争ってはいけません。
本物の響きを放っているもののところには、本物の響きを愛するものが集まってくるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お坊様

ありがとうございます。
言葉は生き物だから変わることはしかたない気持ちと、大事にしておきたい(変わってほしくない?)気持ちのせめぎ合いでした。
でもまず、人の言葉どうこういう前に嘆く前に、自分自身が発信源になれるような綺麗な言葉を身にまとうべきですね。本当にいいものなら、それで残っていきますよね。周りにもきっと、ほんの少しずつ、影響を与えながら。
ありがとうございました。

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