~してもらってもいいですか?
最近の若い子(に限らず同年代、少し年上も)の『~してもらってもいいですか?』という言い方がすごく気になってしまいます。
特に仕事で、立場上、下の子(でもお互い基本的に敬語で話しています)に物事を頼まれることが多いのですが、『~してもらってもいいですか?』と言われると、ついイライラしてしまいます。
もちろん本人たちに悪気はなく、いいやすい言い方をしているだけ、というのはわかってるんですが・・
注意するほどのことではないのかもしれませんし、私も100パーセントきれいな日本語を使えている自信は全くないのですが、この言い方だけはどうしても、気になってしまうし、日本語の乱れはこのままどうなっていくんだろう、と思ったりしてしまいます。
注意するべき(角を立てないように・・難しいですが)でしょうか?気にしてしまう私が神経質なのでしょうか?
お坊様のご意見をお聞かせください。
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ラストサムライ
それがし、武蔵野国狭山の地安穏寺小住丹下覚之進でござる。
米国、英国でも「マイネームイズ◌◌」というのは、「拙者、◌◌でござる。」ぐらい古い響きがあるそうですね。
「ことのは」といふものは、時の流れと共に人の手を経て様々な形に変化するものでござるな。
「~して頂いてよろしいでしょうか」「~して頂けないでしょうか」の方が、それがし、しっくりくるものにて候。
ですが、それよりも前の時代におひてはさらにとらでぃしょなる、古風な表現があった事でありましょう。
そして、その言葉の使われ方が変化しゆく際にも、質問者様同様、「(-。-)これはおかしい…」という気持ちになられた方があまたおられたことでありましょう。
ですが、その感性は間違ってはおりませぬ。
やはり、流行り言葉や、変なものは変なものなのです。
だから、正伝はちゃんと残る。
あなたは、ちゃんと正伝を説けばよいでしょう。
そして、その中で争ってはいけません。
本物の響きを放っているもののところには、本物の響きを愛するものが集まってくるのです。
質問者からのお礼
お坊様
ありがとうございます。
言葉は生き物だから変わることはしかたない気持ちと、大事にしておきたい(変わってほしくない?)気持ちのせめぎ合いでした。
でもまず、人の言葉どうこういう前に嘆く前に、自分自身が発信源になれるような綺麗な言葉を身にまとうべきですね。本当にいいものなら、それで残っていきますよね。周りにもきっと、ほんの少しずつ、影響を与えながら。
ありがとうございました。