夫の自殺願望
先日もこちらでお世話になりました。
以前、相談させて頂いた内容からの続きになります。
私自身、現状についていくことがやっとで、生活を送っている状態で、複数の円形脱毛や食欲不振、不眠など身体への影響もずっと出ていますが、今回、起訴となりましたので今後、控えている刑事裁判へ備えて、相変わらず動いている日々です。
当事者である夫についてですが。
あの日、夫は手術が必要になるほどの重傷を負い入院、リハビリのために2ヶ月間の休職した後、職場復帰をし現在、通常通りの勤務に入っております。
起訴事実は全て認め、取調、聴取は終わり今は訴状が届くのを待っている状態です。
自分がしてしまったことへの罪悪感とこれから始まる裁判
への不安、生活など、様々な事を毎日毎日考え込み外へは出たがらず、私から見ていて引きこもり状態でした。
たまには、気分転換に外の空気を吸わせるために、近所程度ですが外出にもつれて歩きました。
ですが、裁判が近くなった今、自分が死ぬ事を考える様になり、その方法をネット等で調べている事が分かりました。
仕事が手に付かない、と仕事を休むようにもなり最近では一日のほとんどを仕事や用事以外、布団で横になっている
状態で食事も摂りたがりません。
当然、自分の犯した罪の重さを重々、本人は分かっています。
相手方へ申し訳ない気持ちでいっぱいなこと、今後自分はどうなっていくのかという不安で、精神面に不調が出て今の自殺と言う考えに至っています。
今、夫から目を離す事は絶対にできません。
精神的にとうに限界を超え、辛さに耐えきれなくなっていると思います。
逃げるわけではなくても、万が一、自殺で自分を消してしまえば結果的に、自分の罪からの逃げになります。
ご遺族や被害者の方々を思えば、私達の不調は一切関係なく一生、責任を全うしていかなければなりませんので、当然、苦しくても生きていかなければなりません。
と思いながら、決まっていくことが順に決まる時を、静かに日々を送りながら待っていますが、私はどう対応していけば良いのか分かりません。
私も疲れました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』
良寛
これは震災に遭って家族を亡くし、嘆く友人に良寛さんが手紙で送った言葉です。
人間誰だって災難なんて遭いたくない、できれば一生、災難とは無縁でいたいもの。
けれども、どんな人にだって必ず災難は降りかかるのです。その最たる物が「死」ですね。
naoさんの旦那さんも、きっとわざと事故をおこしたわけではないはず。
だからこそ罪の意識にさいなまれているのでしょうね。
今はまだ、前向きに生きる意欲がなかなか湧いてこないのも致し方がない事なのかもしれませんが、時間はどんどん流れています、いつまでも嘆いてばかりじゃいられません。
上の良寛さんの言葉は
「災難に遭ったら、とやかく言わずにありのままの事実を受け入れろ」
そういう意味合いがあります。
覆水盆に返らず。
起こってしまったことは時間は戻せない、だからこそ、ありのままを受け入れて、そこからどうするのか。を、しっかり考えなくてはね。
いつまでもオロオロしてはいられない、生活があるんだもの。
そこで重要になってくるのが貴女の振る舞いだ。
あなたまで、旦那につられてオロオロしていたら、家庭は崩壊だ。
せめて貴女だけでも腹をくくってどっしり構えて、自分たちの生活を守ろう。
辛いときこそ笑顔で振る舞おう。
時間が来れば腹が減る。
生きているのだから、ご飯は食べなきゃ。
生きているのだから、笑わなきゃ。
加害者家族だって、嬉しいときは笑っていいんだ。
仏教は赦される教え
罪を犯したことへの後悔や、周囲の目、被害者を配慮した生活、気を使いながら生活することはかなり辛いことだと思います。
一般的価値観の上では罪は償うもの。悪いことをしたら、その先はもう辛い目にあっても仕方がない。救われる必要がない。そのように考える人もいるでしょう。
法律の上では確かに罪は償わなければならないし、罰は受けなくてはなりません。
しかし、仏教では、いつでも誰でもやり直しができます。男女、収入、地位、年齢、もちろん過去の犯罪歴の有無にもかかわらず救われるのが仏教です。苦しみからの解放がお釈迦様の示された道にはあります。
過去の過ちは過去のもの。今は過ちを犯していません。それが事実。罪を償えば、後は過去や一般的価値観にふりまわされることはありません。思いの世界では過去があるかのごとく何度も再生されそれに自分勝手な価値判断を加え、苦しみをつくりだしています。つまり自分で自分を苦しめています。
しかし、事実は苦しめません。事実は今しか存在していません。場所もあなたの体があるのここのみです。私たちは毎日物事に出会いその瞬間に過去のものとなっています。つまり記憶でしかないものになるのです。
過去を引きずる必要はありません。法的に罰を受けても、やはり今しか存在していないのです。握りしめることもできないほど赦されている存在であること、救われている存在であることに気づけば、堂々と生きていっていいことに気づくはずです。
よくないことをしてしまった。でも、それはそれ。これからその分他の人に良いことをしていけばいい。この瞬間にも過去のあなたはもういない生まれ変わっているのです。救われているのです。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり、申し訳ありません。
林様、邦元様
ご回答、有難いお言葉に感謝いたします。
夫の自殺願望は、例え苦しくとも決して良い事ではありません。
私も苦しいです。
贖罪行為をずっと続けながらも、気持ちの何処かでは夫は“死を持って償う“ ことが一番なのでは?と思うところがあり、更に不安定になっていました。
ですが、それは違うと気づきを賜りました。
加害者本人は、死で責任が果たされる訳ではありませ
ん。生を持って、責任に向き合い、罪を償うこと。
私達が前を向いて、人として果たすことを果たし継続していくこと。
不安ばかりで精神的に衰弱した今、その原点が薄れていたことに気付きました。
逆の立場で考えれば、これはご遺族様に対して、一番の失礼になり、結局は逃げることになります。
今現在、今後に悩みご相談ができているのも、まさに生があるからこそ、に尽きます。
自責の念に苛まれながらも夫が今、自決をせず生かされているのは、やはり責任は自分にある事を一番理解しているから、悩み苦しむのだろうと思います。
私たち夫婦は、これからです。
大きな壁にぶつかることがまだまだあると思います。ですが、 "生" があることに感謝をし、時間は掛かるかもしれませんが、先を見て、気持ちを強く持っていきたいと思います。
生きていれば空腹にもなる。笑う事もある。
ご回答を得て、私たちの不穏な気持ちに対し、救いを頂戴いたしました。
ありがとうございました。