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蓮の花

回答数回答 2
有り難し有り難し 25

私は、先天性の精神障害と感受性が強すぎる事から人の本心や、呟き、周りの変化に敏感で、今まで、日常的に体調が悪い時は、我慢する事や苦しい事が非常に多かったです。症状は、幼少の時から出ていて、悩みもないのに酷く死にたくなったり、7日間不眠、5日間絶食になったり、9日間部屋に閉じ込められたり、学校や仕事に長期間行けなくなったり、耳鳴り、吐き気、悪夢、妄想、覚醒、倦怠感色々ありました。ここまであれば、老死も余り怖くなくなる位の事を嫌と言うほど体験しました。感覚が麻痺したのか、最近体調が良い時は、煩悩(負の感情への執着)が殆ど無くなり、日常がとても楽しく感じ、いつもニコニコ過ごしています。
御釈迦様が説かれた、蓮の花は泥水が深ければ深いほど綺麗に大きく咲くという意味は、人生苦労が多ければ多いほど、心が豊かになると言う意味合いなのでしょうか?
過去を振り返ると、私めっちゃ泥水深いな…。と思ったりします。後から、考えると面白くなります。今も休職中ですが、これからも何があっても笑って生きた方が、きっと楽しいですよね。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

蓮の花のようにご成長なさって

拝読させて頂きました。泥とはこの汚れた乱れたうそ偽りに満ちた世の中や人の心です。
読ませて頂きあなた自身が汚れている様には感じませんでした。あなた自身の心は清らかなのではないでしょうか。
私はあなたがいずれこの汚れてまみれた世の中からしっかりと茎を伸ばして大きな素晴らしい蓮の花のようにご成長なさるように感じました。
人生は様々につらく苦しいところもたくさんあります。ですがどうかこれからの人生を心清らかに正しく生きてください。
あなたがこれからしっかりとご成長なさって頂くことを心より仏様にお祈りさせて頂きます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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泥なんて何処にも無かった!

良かったですね。
大変な人生を歩まれてこられた中で、きっと真実に目覚められたのではないでしょうか。

今の心境はむしろ「どこに泥んなてありましょう」という心境ではないですか。
もし、そうならそれが禅の「本来無一物」です。
どこかに煩悩や泥があるような錯覚を超えて、自己の本来の姿を徹見した境涯です。
私たちは、煩悩を払おうとか消そうと試みる。
ところが真実に目が開けば、妄想を真実であると握っていた自分の二重妄想であったことに気づく。
よくよく振り返ってみれば、過ぎたことのリプレイや再評価ばかり。
ありもしないことをそこに持ち出してありもしないことを取り扱っているのです。
扱っているものがリアルではないものであったと目覚めれば、それに騙されなくなる。
今までの過去の妄想、煩悩の泥は確かに、肥やしにすることが出来ます。
これからその花を多くの人を助ける力にすると良いでしょう。

感受性が強すぎる事で人の本心や、呟き、周りの変化に敏感であることは、誰にでもあることです。
問題なのは、そこで人の言葉の裏読みや、本心を裏読みしたり、深読みしたりして、本当の本当の現実を見失ってマイワールドに入っていしまうことです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お言葉を頂きまして誠にありがとうございます。私自身、周りの方々の存在があってこその私だと思っております。日々成長をしていける様に、常に笑顔を忘れずゆっくりと歩いて行こうと思います。ありがとうございました。

お言葉を頂きまして誠にありがとうございます。過去や未来や妄想にとらわれてマイワールドを突き進むのは、真の自分の心も人の心も見えなくなってしまいますね。私は、真実を見据えて受け入れて、人の助けにもなれる様に、笑って歩いて行こうと思っております。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ