妻の心に悩んでいます
初めてこちらに悩みを書かせていただきます。
私は二か月前結婚したばかりの若僧なのですが、妻のことで悩んでいます。
事前によく話していたとはいえ、三世帯同居、しかもお寺という特殊な環境に放り込まれていた妻の心が心配です。なるべく彼女との時間を作るよう、外にもよく連れだすように心がけてはいたのですが
先日、妻が結婚式の際に妻側の親戚方からいただいたご祝儀をまとめていた通帳から、自分のほしいものを買うために相談もなくお金を使っていたことが判りました。
理由を聞いても「寂しかったから。辛いのを紛らわせるためだった」というばかりで罪の意識を持っているのかも分かりません。
元から精神年齢の低いところのある女性でしたが、それでもこれは越えてはいけないラインです。
また、家の中での妻の唯一の味方として、彼女のために頑張ってきたつもりだったのに裏切られたように感じています。
正直、混乱しています。どうしたらよいか、どうか相談に乗ってください。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
受け入れてあげて下さい。
初めまして、浄土真宗本願寺派の藤波蓮凰と申します。
いきなりこんな場で申し上げるのも、ある意味において憚られますが、寺とは現代社会に照らし合わせて客観視する時、非常に閉鎖的な空間であることに気付かされます。そして、我々僧侶自身は世間的感覚からはズレてないと思っていても、恐ろしくかけ離れていたりするものです。
「寂しかったから。辛いのを紛らわせるためだった」
これはまさしく、奥様の心の叫びです。私は痛いほど、それがよく解ります。寺へ嫁ぐということだけで、奥様は想像以上の重き荷を背負っておいでなんです。迎えた側は、その日常はあまりにも当然な毎日であり、そこに奥様が新たに加わったに過ぎないでしょう。しかし嫁ぐ側は、そうした感覚の何十倍何百倍の非日常的な気持ちなのです。
何よりも先ず、そこを理解してあげて下さい。奥様の使い込みは、無断ということにおいて、確かに悪いことかも知れません。あくまでそれは、《かも知れない》なのです。私は敢えて、悪いこととは断定致しません。
御貴師が仰る《頑張っていたつもり》は、あくまで、《つもり》でしかありません。奥様が抱えられる、全てのお気持ちを受け入れてあげて下さい。
そうした広いお心がなければ、御貴師がお住まいのお寺の檀家さんたちのお気持ちもまた、感じ取れないのではないでしょうか………。そんな風に思います。
いささか厳しいことを申し上げましたが、僧侶とて、見えないことだらけなのです。でも御貴師には、この度お迎えになった奥様を通じて、見えなかったものに気付いて頂きたいと思います。以て言うまでもなく、私自身も含めてね………m(_ _)m。
質問者からのお礼
藤波様。ご丁寧なお言葉をいただき、ありがとうございました。これも先のための修行と思うという発想がなかった自分を恥ずかしく思いました。もっと妻を理解するよう努めたいと思います。