おばあちゃんの死
初めまして。こんにちは。
去年の5月、おばあちゃんが亡くなりました。病院に運ばれて、意識が戻らないまま、次の日に逝きました。
亡くなる5日ほど前に用事がありおばあちゃんの家にいきましたが、時間もなくすぐに帰りました。その時何かに気付いてあげてたらと、自分の不甲斐なさに、腹が立ちます。
意識がないまま、急に逝ってしまったので、何も聞けず、何も伝えられずだったので、とても後悔しています。
夢でもいい。何なら幽霊でもいい。ただただ会いたいです。話したいです。何もできなかった自分に怒ってないか?どうしてほしかった?と、色々聞きたいです。
49日の前の日、夢に出てきてくれました。私は泣いて謝っていましたが、おばあちゃんは笑って抱きしめてくれていました。それでも話たりません。会いたいです。会いたくてたまりません。亡くなってからずっと思っています。
どうすれば、自分の想いに区切りをつけて、後悔や無念、ごめんねとゆう想いを、ありがとう!とゆう想いに変える事ができますか?会いたい、話したいとゆう気持ちはなくすべきでしょうか?
心にぽっかりと穴があいた感じがして辛いです。
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お墓やお位牌、お写真のお祖母さまとお話をしよう
こんにちは。
お祖母さまのご逝去にお悔やみを申し上げます。
お祖母さまと話したいことがたくさんあるのですね。
四十九日の前日に夢でお祖母さまに会えて良かったですね。
少し前に「千の風になって」という歌が流行しました。お墓には亡くなった人は眠っていない。風になってあなたを見守っています、って歌です。これにより日本人の祖霊に対する考え方に少し変化が出てしまいました。
この歌は、アメリカ合衆国発祥とされる詩に新井満さんが訳詞をつけたもので、元々の日本人の感覚とはちょっとズレていると考えます。また秋山雅史さんが、あんな良い声で立派に歌ったものですから、多くの日本人が「なんだかそうかもしれないなぁ」と共感する気持ちになったのかもしれませんね。
さて、日本人は古来よりお墓やお位牌をご先祖さまとして拝んできました。私は、皆様には、今まで通り、お墓やお位牌に故人の魂が宿っている、またはお墓やお位牌が電話のようにご先祖さまとお話ができる通信装置だという考えを大切に持ち続けていただきたいなぁと思っています。(※宗派によりお墓やお位牌のない宗派もありますがそれを否定するものではありません)
もし、お祖母さまが眠っている墓所があるようでしたら、是非そこでお話ししましょう。お位牌があるようでしたらそこでお話ししましょう。どちらもなかったら、お祖母さまのお写真に向かってお話ししましょう。きっと聞いてくださいます。特にお写真に向かってお話をしますと、お話の内容によって、お写真のお祖母さまが笑っているように見えたり悲しんでくれているようにみえたりします。是非お話をしましょう。
あなたの思いに区切りがつき、感謝の気持ちでいられる日が来ることをお祈りします。