わが子の将来
私は、元の頭の悪さで、勉強で苦労しました。
人の倍以上勉強しても、三流大学しか受からず。。
本当に、苦労・屈辱を味わいました。
私のようになって欲しくないと思い、わが子を付属小学校の受験をさせました。
1次試験は受かりましたが、2次試験はダメでした。。。
塾にも通わせ、自宅でも勉強させ、たくさんの神様にも祈祷し。。。
ダメだと分かった時、本当に神様を憎みました。文句も言いました。。こんなこと思っては、言ってはいけないでしょうが。。。
子供の将来が、私の様な人生を歩んだらと思うと、悲しくて不安でたまりません。。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分自身の問題を子供さんに投影していないかどうか
さと様
こんにちは。拝見させていただきました。
育児ご苦労様です。お子様を大事に想う気持ちが文面から伝わってきました。
ただ、ご相談に反するようなお答えになってしまうかもしれません。先に謝らせていただきます。
ご自身のこれまでの人生の中でも苦しみがあり、そのような思いをさせたくないという気持ちはもっともだと思いますが、息子さんは息子さんの人生であってご自身の人生の「埋め合わせ」のために生まれてきたのではありません。
神様にお願いされたとの事でしたがお願いするのではなく「感謝」ではないですか?「私の子供として生まれてきてくれてありがとう」「元気に育ってくれてありがとう」「私の人生の苦しみを引き受けようとしてくれてありがとう」神様仏様には基本「すでにいただいたもの」を感謝するものです。お願いする人は「今が不満だ」と言っています。今の不満を受け入れられない人にはどんな願いが叶っても「次の不満」を言い始めるのです。
子供さんは受験を落ちたことでママの期待を裏切った自分は価値のない人間だと自分を責めるか、あるいはママは私の気持ち、私自身を受け入れてくれることがなかったと恨む気持ちを持つ大人になるか。
子供さんがあと1年の命だったとしたらどう考えるでしょうか。どんな子であったとしても私の子供だもの大丈夫って強く信じてあげること、信じられていると感じた子供はこの先どんな人生でも「大丈夫信じてくれる人がいるもの」と一歩進んでいけるのではないかと思います。そしてそれこそが実はさとさんが欲しかったものなのではないかなと私は感じました。
大変失礼な事を書きました。ただ、一生懸命子供さんの事を考えておられるさとさんなら少し違った見方も考えていただけるのかな思った次第です。
今子供さんをとおして自分自身の苦しみに向き合う時だと思います。応援しております。
合掌
その人そのまんまでいいのです
世間一般で言う、学力というものは、仏教ではあまりようがありません。
私もお勉強は得意な方だとは思いませんし、こうして文章を書くことにも、自信はありません(^^)しかし、そんな苦手があっても、人はきちんと生きることが出来ます。
一般でも、国語算数は小学校中学校程度、出来ていればまず生活には困りません。そうでなくても救われる道が仏道です。
学力より大切なことは、自分を知るということです。お釈迦様は、修行を続け、自分という存在について知ったことで、大自在を得ることが出来ました。
今の自分を受け入れつつ、腐らず、人と比較せず、必要な努力は続け、そこで十分に満足して生活できる道があるのです。
学歴、学力より大切なことがあることをまずは知ってください。
質問者からのお礼
「信じてくれる人がいる」、そうです。そうでした。
私は、親に信じてもらえませんでした。「大丈夫」という言葉を、掛けてもらったことが
ありませんでした。
子供を産む前は、何があっても信じてあげよう。と思っていたのに。。。
いつのまにか、そんなことを忘れてしまっていました。。。
ありがとうございました。