生後5ヶ月の我が子を失ってからどうしていいかわかりません
今年の3月に初の子供を出産しました。主人そっくりの娘でした。初めての子育てにとまどいながらも、娘は可愛く優しい主人や周りの支えもあり、幸せな毎日を送っていました。
ところが、生後5ヶ月で娘は天へ召されてしまいました。朝起きたらもう冷たくなっていたのです。
警察が検死解剖をしましたが、原因は不明。喉に何かをつまらせたわけでもなく、病気でもなく…私の可愛い娘は動かなくなってしまいました。
産まれたときに、もしこの子が死んでしまったら、なんて想像したことはありましたが、そんな想像をはるかに超える苦しみでもうどうしていいのかわからないのです。
外で生きているお子さんをみるたびに、「あの子は無事だ。よかった」と思うと同時に「なぜうちの子だけ」ととてつもない悲しみが襲ってくるのです。最近は子供が恋しく、同じくらいの子をみると「お願いだから、1度だけでいいから抱かせてくれないかな…」なんて思ってしまいます。
そんな感情に1人で対処できず、家にひきこもってばかりで、買い物は主人についていってもらっています。
家事は1通りしていますが、主人は外で働いてくれているため、こんな自分が情けなくて仕方ありません。主人はそれについて1度も責めたりしない、優しい人です。
こんなことになってしまったのは、私や主人が気付かぬうちに大きな罪をおかしたからでしょうか?また、あの子がまた私達の元に新しい命となって戻ってきてくれることはあるのでしょうか?
正直今は生きているだけで精一杯です。母に同じ苦しみを味合わせてはいけない!と思いなんとか生きています。
執着すると天にいけない、と何かで聞いたことはあるのですが、娘が恋しくてたまりません。
この感情を止める事ができないのです…
苦しくて苦しくてたまらないです。
何か回答をいただけたら幸いです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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命は消滅しません
ご心痛お察し申し上げます。亡くなられた娘さんのご冥福をお祈り申し上げます。
悲しみや苦しみが大き過ぎて対処の仕方が分からなくなると、人はせめてその理由を知りたいと思うものです。
しかし、人の生死は無数の因縁が織り交じった中で生じるものですから、「〇〇だからこうなった」と言えるものではありません。もちろん、ご両親が何か間違いを犯したからである、ということは決してありません。
命は、大海の中の一掬いの水のようなものです。一掬いの水は大きな流れやうねりの中で、時として小さな渦を巻いたり泡立ったりして様々な形を見せます。渦や泡はじきに消えてしまいますが、その水が無くなってしまったわけではありません。一掬いの水は周りのすべての水と一体となって運動し、また次の形をつくります。
私の宗旨では亡くなったばかりの方の戒名の上に「新帰元」という言葉を添えますが、これは「新たに元の”命の大海”に帰った」という意味であるといわれています。
目で見える私たちの姿は、この一時あらわれる渦や泡と同じです。その形が消えても命が消滅したわけではありません。それは一度”命の大海”に帰り、また因縁にしたがって別の形をとって現われるのです。
ご両親が将来、新たなお子さんを授かった時には、そのお子さんはもともと娘さんの生命と一体だった”命の大海”から来たのです。娘さんと同じように、大切になさって下さい。