ずっと続く日常がこわい
こんにちは。sogoromoと申します。
就活がうまくいっていません。いや、うまくいっていないとかじゃなくて、実質的にほとんど就活をやっていないような状況です。
院まで卒業して、資格をとるまでしたのに、自分がスーツを着て毎日電車に乗って、働くということについて上手くイメージできないのです。
昔から、ぼんやりした性格でした。頭のなかでいろいろなことを考えめぐらせ、妄想するのが好きで、現実のことが手につかない。というより、私にとって、現実のことはいつも退屈で面倒で意味のないことでした。それでもこの年までは一応やってこれたのは、たまたま勉強ができたからで、でも仕事となるとそうはいきません。
目の前の現実と向き合って、きちんと対応できるようにならなきゃいけない。妄想と観念の世界に生きないで、地に足をつけなきゃいけない。でも私にはそれが、退屈だし、やりたくないし、もっというと、そこに埋没して人生が終わってしまうことがこわいんです。
決まった時間に朝起きる、決まった時間に出社する、決まった時間に寝る、というルーティンのなかに、布団をたたむ、掃除する、こなさなきゃいけない課題を片付ける、家賃光熱費を払う。大きなビジョンもないまま、ただ目の前のやるべきことに時間が消費されて、それで人生を終えてしまうのではないか。でも他方で、大きなビジョンを持とうとしても、一時的になにか希望を見出したとしても、結局長続きしない。本気で抱いてる希望や目的意識じゃないから、すぐにぶれるし、そこへ向けた地道な努力は続かない。
なんだか生きるということが、おれには虚無に思えてしかないです。飯食って歯を磨いてうんこして、金稼いで家賃光熱費と税金と生活費を支払って、そうして何者にもなりきれないままやがて死ぬ。バカバカしくないですか。
甘えてるし、幼稚なのかもしれません。まだ自分が何者かになれる妄想の中に浸っていたいだけです。でも、世間の大人のひとたちが、どうやってそこに折り合いをつけて、日々、地に足つけて生きてるのか、そこが本当にわからないんです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうか感謝の日暮らしを送られますように…
「甘えるな!」…と一喝されるお坊さんもおみえになるかも知れませんが、私にはあなたのお気持ちがほんの少しだけわかるような気がします。
何者にか成りたい、でも成れない…成れない人生は空しい。この論理ですと、まさに八方ふさがりですね。
何者かにならないといけませんか? お金持ち、スター、売れっ子芸人、大物政治家…そういった方向でしょうか。そうなれば人生楽しいでしょうね…でも、その本人に聞いたことがありますか。人生楽しいですか?って。
直接聞けないのなら想像するしかありませんが、例えば一日だけその方と身体を入れ替わることが出来たとして、あなたはずっとその方としてこれからも生きていきたいと思いますか。
多分、そのような方の人生を生きるのは1日も持たないと思います。…忙しくて、いろいろと面倒で、やたら人が寄ってくる生活。本当に疲れそうですね…そういった生活がしたいですか。
「飯食って歯を磨いてうんこして、金稼いで家賃光熱費と税金と生活費を支払う」って、ものすごいことだと思いませんか。その生活が社会全体を支えているんですよ。賞賛される生き方だと思います。
何者かに成れるなら成ればよいですし、成れなければ成れないまま生きていきます…命ある限りは。
今のままでは嫌だ、変わりたい…変われるなら変わればいいですし、変われなければこのまま生きていく。それだけのことです。
今ちょっと、人生のスランプでいらっしゃるのでしょうか。でも、そうして立ち止まって人生を考える時間を持つことが出来たのは、あなたにとってとても幸いなることだったと思います。
つまずかなければ、石の存在に気付くことが出来ない。石はどうでも良い物、無い方が良い物のようだけれど、あなたに大切ことを教えてくれました。
どうか、あなたにしか歩めないあなたの自身の人生を大切になさって下さい。
よく考えて、いえ、時には考えるより前に行動して下さい…。
仏様はあなたに寄り添って下さいます。そんな人生には失敗も、無駄な時間も、無駄な経験もありません。
今を何とか生きていられることの有り難さを噛みしめられ、多くのおはたらきへの感謝の思いで日暮らしをなさって下さいませ…。
事実は小説よりも奇なりです
拝読させて頂きました。あなたのお気持ちもよくわかります。はたから見てると人生なんて退屈なつまらないことの様にも見えますよね。
通勤電車に満杯に揺られて仕事に行くこともつまらないと考えられます。
ですがはたから見てるよりも現実は違うと思います。
あなたの想像するよりもリアリティーありますよ。
事実は小説よりも奇なりです。
現実に直面すると本当につらいことはハンパなくつらいですし、悲しいことは本当に心に沁みます。
そして人の温かさも現実に感じます。
喜びを分かち合うことも共に感じてくれる人がいるからとても価値を感じることができると思います。
あなたの頭の中で考えられることは限りがあります。
せっかくの人生ですからどうか現実に直面するように前に向かっていってくださいね。
きっとあなたをこれから本当の成長する場所が待っています。
あなたがこれからの未来に向き合い様々な現実にぶつかりその中で心も身体も能力も成長なさっていかれます様にと心からお祈り申し上げます。
リアルは面白いですからどうか頑張ってください!
好奇心のままに
こんばんは。ある意味羨ましいな、自然とそう思いました。どうせなら、今の「考え巡らせ、妄想するのがすき」を一生追求してみたら?自分の好奇心を頼りに、求道の道を進む。いるんですよ、学者の中にはそういう人が。東京芸大とかにも。
社会的貢献よりも、自分が疑問に思ったことをとことん追いかける。生活費は麻雀で稼ぐか、奥さんに食わせてもらう。今はそういう甲斐性のある女性もいそうですし。
で、もし自分の好奇心が絶えてしまったら、潔く諦める。「俺の少年時代も終わりか。バカバカしい幻を追ってしまったな」って。やりきっていないから、糞切り(踏ん切り)がつかないのでは?
質問者からのお礼
小林覚城様
kousyo kuuyo azuma様
佐藤良文様
ご回答ありがとうございました。おっしゃる通りスランプ気味で、最近調子良いと思って慢心いたところまさにその慢心が原因でガツンときたものだから、自分の愚かさ加減に落ち込んでしまいました。昔から全く成長できてない、そのせいで人生の重大な機会を逃してる。
そうして心の弱さが現れるとやっぱり上のようなことをどうしても考えてしまいます、幼稚で青臭いとおもってフタをしてみてもやっぱりどこかでずっとそう思っている。
アフィリエイトで稼いで妄想を文学にぶちこんでみるなんてことも考えたりしましたが、その生き方にもなんだか違和感あるんですね。実現可能性の有無は置いといて。やっぱり小説よりも奇なる現実をみてみたいって気持ちも強くあるんです。
もうしばらく、何者かになろうともがいてみることにします。アホですみません。でも日々の暮らしと今あるものに感謝して、きちんとすることとそれは当然のように両立しうるんだと思いました。なんかそこがぐちゃぐちゃになっていた。ありがとうございました。