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文句を言う癖

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ここ最近、数年ほど前から特に、不平不満、悪口を口にしてしまいます。
元々、何にでも文句をつける癖はあったのですが、ここ数年、仕事のストレスが溜まるようになってから、特にお酒の席で、文句、誰かの悪口を言ってしまいます。

1人になると、自分の心には闇のように暗いものが残り、言った分だけ自分に跳ね返ってくるかもしれない恐ろしさにゾッとします。

悪口の言葉で、笑いをとり、盛り上がったように感じていたのは自分だけで、一緒にいた人は楽しくなかったのでは?

こんなことをしていては、誰も自分を信じてくれない、いつか痛い目に合う。
いや、もっと酷い目に合うんではないか、そう感じます。

世の中には悪口や愚痴を言わない人がいる中、自分は本当に心が荒んでいると感じます。

愚痴を言わないように自分が気をつけるしかないのですが、
そもそも物事を悪く感じてしまうことをやめたいのです。
ちょっとしたことや、他人の違いを認められない、心の狭い自分を変えたいです。

日ごろから気をつけること、心がけることはなにか、ご意見をお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

周囲がダメ人間ばかりでもスーパーマンなら大丈夫

他人のせいで、自分のやることが上手くいかない場合もありますね。
しかし、あなたがスーパーマンだったら、他人に足を引っ張られたとしても克服して成功させるはずです。
他人に愚痴を謂いたくなるのは、結局、あなた自身の能力がたいしたことないからです。

しかし、人間は皆、自分の能力不足を認めたくはありませんから、他人のせいにしないと落ち着かないのです。
プライドの煩悩があるからです。

毎日「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩だ。煩悩は悩み苦しみの原因だ。」と思い出すようにしてください。
悪口を言いたくなる(言うのが楽しい)のは欲の煩悩です。
他人にムカつくの怒りの煩悩です。
悪口を言わないよう気をつけなければならないのに気を抜いてしまうのは怠けの煩悩です。
自分を他人より素晴らしい存在だと思いたいのはプライドの煩悩です。

まずは、自分の煩悩に気付きましょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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まず見方考え方そして生き方を見直して

拝読させて頂きました。あなたの毎日の生活の中で不平不満やたくさんのストレスが蓄積されていらっしゃる様に感じました。生きているとたくさん嫌なことやつらい思いもありますよね。
あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
あなたのおっしゃるとおり悪口や不平不満は悪業です。必ず自分にかえって参ります。
そしてあなた自身を不平不満の底へと導いていき、あなたを不幸に致しますよね
ですからあなたの不満やストレスは解消なさることが必要ですね。
あなたが不満に思うことをおやめになるか、軽減すること、あるいは別の見方をすることも必要ですね。
いかがでしょうか、今すぐに切り替えることはなかなか難しいでしょうが少しずつでも切り替えるてください。またお気持ちだけでも先行して切り替えてくださいね。
あなた自身の人生や生活ですからどうか大切になさってください。そしてあなたの周りの方々の人生や生活でもありますからどうかそちらも大切になさってください。見方考え方ものごとの進め方でもだいぶ変わって参ります。
結果が同じようでも見方を変えるだけでもだいぶ好転したり周りの方々と良好に保つこともできると思います。
それにはあなた自身の見方考え方そして生き方を見直しながらこれからの未来を明るく見直して頂きたいと思います。

あなたのこれからの未来が心健やかに心身ともに満たされて周りの方々とともに豊かな毎日であります様にと心からお祈り申し上げます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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仏教の実践科目、『八正道』を学び実践しましょう。

jusdoitさん、こんにちは。

悪口をいってしまう、自分を変えて生きたいのですね。
素晴らしいです。悪口は百害合って一利もありません。心のクセはなかなか直すことは難しいですが、カルチャー教室と同じです。繰り替えし繰り返し、実践することによって、徐々に悪口はいわなくなるのです。
お釈迦さまは人間の実践方法として『八正道』という、実践すべき八つの正しい修行という教えを説かれました。その中に「正語」といって、正しい話し方として、愚癡はいわない、悪口はいわない、嘘はいわない、オベンチャラはいわない、努力をせよと、四つのポイントをくださいました。たとえ、こちらが正しくとも悪口はいわないという、誓いが必要です。

でも、ただ我慢するだけだと、ストレスが貯まる。だからストレス発散できる場所を作っておきましょう。一番いいのはカラオケかもしれません。嫌なことがあり相手に悪口をいいたいのであれば、カラオケボックスで「○○のバカー!」と吼えまくりましょう(笑)。すると気持ちもスーッとするものです。

そうしながら、正語の実践をしていくと、自然に悪口をいうクセも直ると思います。
がんばって!合掌

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おきもち

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「大切に扱って欲しかった」という気持ちが悪口を生む

Jusdoit様
こんにちは。拝見させていただきました。

「他人の悪口は蜜の味」なんて言葉もありますが、あなたが仰るとおり悪口は確実に自分自身への信頼を落とします。ただ単純に「それはいけません」という事ではなく悪口は内に押し殺した気持ちの噴出ではないかなと私は思いました。文面からの推察ですので見当違いな話になるかもしれませんがその場合は聞き流していただけたらと思います。

悪口を言ってしまうというのはなぜか。それは自分が「大切に扱われなかった」という思いがあるからだと思います。例えばですが、成長の過程で家族の中で自分が認めてもらえなかったなどがあり、Jusdoitさんの心の底に例えば悲しみ、例えば憎しみ(わかってよ!という気持ち)があり、そこから他人への悪口となってでてきているのかなと感じました。

悪口を急に我慢すると今度は自分自身へと跳ね返り自己嫌悪が増します。悪口はある意味でJusdoitさんの心を守っているとも言えます。ですから悪口はメモ帳を持ち歩いて口にださず書きましょう。寝る前にその日の悪口を書き連ねても良いです。ともかくはき出すことも大事です。

もうひとつは感謝の実践です。身の回りの当たり前の事に最初は「形だけ」で良いのでありがとうございますと声に出す。特別な事ではなく当たり前の事が良いです。気持ちがあればそれは良いですし、なくてもそのうちだんだんと起こってきます。
自分自身の中にある気持ちを見つめてみることが大事なのかなと思いました。Jusdoit さんは一生懸命ここまでやってきました。頑張ってきました。努力もしてきました。それはとても立派なことだと思います。そんな自分を認めてあげてくださいね。

仏教は自分自身の心を見つめてみる教えです。ちょっと立ち止まってみて「愛情が欲しかったのかな」と問いかけてみていただけたらと思います。そして「どんな言葉をかけてもらえたら心が安心するか」を考えてみていただけると何を求めているのかが見えてくると思います。応援しております。合掌

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おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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「心構え・生きる智慧」問答一覧

普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

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愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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楽に生きたい

私は物事をマイナスに考える癖があるようです。 いつも怒られるのではないか、誰かから攻撃されるのではないか、嫌われているのではないかとビクビクしながら生きている事に気づきました。 「ちゃんとしなくちゃ」とか「人に迷惑かけないように」とかいつも気が張っていて何処にいても誰といても休まりません。 常に自分で自分を追い詰めているようです。 かと言って他人にそういう自分の状態を出しているわけではなく、周りの人は私がそんな事考えてるなんて思ってもいないと思います。 そのギャップにも苦しいです。 私は繊細で、大体の人が気にもしないような事を気にしているようです。 人の表情を読み取ってしまったりします。(今この人言ってる事と思ってる事違うな。など) 私のような人間がいる一方で、適当に生きている人(例えば人の話を聞かない人とか、遅刻する人、挨拶しない人、無愛想な人など色々な方がいますが)は凄く自由に見えて、ルールを守らなくても難なく生きてる人もいるんだと疑問に思ってしまいます。 嫌われていると思っていた人に話をしてみたら、そんな事ひとつも思ってないよ?大丈夫だよ?と言われたのですが、表情を読めば私に対して良く思っていないような感じに見えるので、「本心では嫌いだけど大人の対応をしてくれているんだ」と疑心暗鬼になってしまって辛いです。 他人の機嫌を損ねるのが怖いですし、自分を否定されるのが怖いです。 死を考える事は無くなりましたが、1日1日を終えるのが精一杯です。 もっと自由に生きられたらどんなに楽しい人生になるんだろう…。 自分なりに改善策を調べ、何度も何度も実行していますが、なかなか考え方が変わりません。 とにかく生きづらいです。 どうすれば楽に生きられるでしょうか?

有り難し有り難し 3
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必要以上の罪悪感を抱かなくする為には…?

最近、ちょっとしたことに罪悪感を感じてしまいます。勿論、謝るべきだなと思った事は直ぐ謝るのですが、普通の人なら気にしないようなことに対しても、謝った方がいいのかな?って何に対してもそう思ってしまうときがあります。 例えるなら、外に出かけてて、壁にカバン、もしくは手が軽くぶつかっただけでも、傷付けてしまっていてはどうしようと思って確認しても傷も何一つ無くても、明らかに自分がぶつけたところとは違う所に傷を見付けた時も、実は私がしたんじゃないか?ってモヤモヤしてしまったり、他にも普通の人なら謝らないような小さな事に対しても罪悪感を凄く感じてしまい常に謝ろうか考えてしまいます。 ですが、最近は、その何に対しても罪悪感を感じて謝ろうとするのは、相手を思って謝ろうとしてるのではなく、自分のこの何に対しても感じる罪悪感を消そうとして気持ちを押し付けようとしてるだけだと思うようになりました。 本当に相手を思うのなら、時と状況を見極めて、何の為に謝るのかを考え、相手のためになることをするべきだと思うのですが、普通なら気にしない小さな事でも、申し訳ないことをしたと思い、凄く罪悪感が出てきてしまいます。 特に、大きな失敗した時やメンタルが落ち込んでる時にこういう風になりやすいです。 どうしたら、必要以上の罪悪感を感じなく、小さな事に対して動じなくいられるような精神力を付け穏やかにいられるようになりますか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ