我慢をし続けると言う事
怒りの感情を何の躊躇もなく外に出す方に対して、どう接したらいいのか、自分の気持ちをどのように整理したら良いのか考えています。
尖った言葉を遣ったり、物を乱暴に扱って壊してしまったり、人に当たって傷つけたり振り回したりします。
「やっている本人が一番辛いんだ」
とか、
「そういう人を反面教師にして自分が成長せよ」
と思い、受け止め我慢をして来ました。しかし、大事にしている物を壊されてしまったり、懸命に尽くしてもいとも簡単を心を折られてしまいます。
「やり返したい」とふと思ってしまうだけで、すごく後悔してしまう性格だし、罰を与えるのは人間の仕事ではなく、神様や仏様にお任せしたいと思うので、結局我慢ばかりになってしまいます。
この気持ちをどのように整理したらよいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
我慢は続かないので理解を!。
こんにちは、カルピスさん。
右から左へ聞き流せればいいんですが
中々そうもいきませんね。
自分自身にも少し同じような事が
言えるので反省しています。
自分もそうですがその方も自分の
感情を上手く言葉で伝えられないという事が
あるように思います。
言葉に出来ない些細な事が
積もり積もって
上手く言葉に表現できないもどかしさの
感情爆発と理解した方が良いと思います。
その方はそのようにして心のバランスを
保っているのです。ガス抜きですね!。
出来れば、怒りの原因を聞いてあげるのが
良いと思います。
その方の言葉を日頃より注意して聞いてあげたり、時には相槌を打ったり
耳を傾けてはどうでしょうか。
その方の爆発の原因が家庭の問題であれ、会社の問題であれ理解
してあげようとすることが大切と感じます。
仏法の働きにお任せ
ただの音として聞いてみてください。
耳は声だろうと音だろうと、全て受け入れます。しかし、そこに善し悪しは付け加えることはありません。あなたがその声に価値評価することなくただの音として聞いていたら問題ありません。
しかし、怒っていることは分かるはずです。
怒りの感情は相手の困りから来ています。相手が事実が見えず感情を前に出し、「わたしは愚かです」と行っているのと同じこと。可哀想な人であることは間違えありません。
あなたがそれに影響され、イラっとくるときもあると思います。しかし、それも、そのままにしておけば消えて無くなること。相手にしないほうがいいけれど、相手にしてしまったらそれはそれ、またそこに悔やんだり怒りを抱いては今度はあなたが苦しむことになります。
一切取り扱わない。体の働きとして受け入れつつも、考えでは取り扱わないことが大切です。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
もしかしたら私に「どうしてわかってくれないのだろう」と思っていたかも知れませんね。
皆が穏やかに過ごせるように、気遣って行こうと思います。
耳…素晴らしい。私の中に全てを受け入れ、全てを流す器官がある事に気がつきませんでした。
私は自分の価値観で良い悪いを判断し、喜んだり悲しんだり、思い悩んだりしていましたが、価値観はコロコロと変化する物。実際は自分の価値観に振り回されていたのかも知れません。