浄土真宗について
質問は三つございます。
1、 念仏を信じなかった人は浄土に往生しないのか?
2 、1で往生するのだとすれば、三悪趣は存在しないことになるのか?
3、植物や虫は六道のうちどれにあたるのか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
知りません。
私の信心は、愚かでつまらないこの私が、阿弥陀さまの誓願と慈悲によって、救っていただく教えです。
肝心なのは、この私が救っていただけるかどうかであって、地獄、餓鬼、畜生界があるのかないのか、そういう世界に堕ちる方々がおり、そういう方々が救われるかどうかは、わかりません。阿弥陀さまが、三途の黒闇をひらくなり、御和讃に著されて、御開山さまはお救いがあると、示されています。私はそれを信じるだけですし、阿弥陀さまのお救いがありますようにと、祈らずにはいられない私がいます。
阿弥陀経というお経さまに、
極楽浄土の世界が描かれていますが、
美しい花々が咲き乱れて、小鳥たちのさえずる声が聞こえるとありますので、動物も植物も虫たちも、阿弥陀さまのお救いの対象だと私は信じています。
信仰とは、誰か他人が救われるのではなく、この私が救われることだと、私は思いますが、いかがでしょうか?
皆様に阿弥陀さまのお救いがありますことを。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
あくまで個人的見解ですが。。。
①念仏って、仏に念じられている一面もあります。
仏様に願われていることを大きなお世話だと思うなら、その方は浄土を必要としていないのかなと思います。
②無量寿経四十八願の1番目は無三悪趣の願と言われていますね。
三悪趣の世界そのものを否定するのと、その世界に人がいなくなるのは微妙に違うと思います。
三悪趣から救わないうちは正覚とらないと言う阿弥陀様の願いを感じるかどうか。。
③これは勉強不足で、分らないです。すいません。
どの状態の虫や野菜なのか。食卓に並んでいる野菜ならば食べた後はその人を通じて六道の対象になるのか。
生きている虫はともかく、死んで土に返りバクテリアなどで分解され植物の栄養になった状態でも六道まったく関係ないと言えるのか。
六道に該当するかどうか、物質の状態で二転三転するほどゆるい定義なのか。
すいません、経典の読解不足でお答えできません。
質問者からのお礼
三浦さん
自分が救われたいという気持ちはもちろんあります。しかし自分ひとり救われるのは寝覚めが悪いです。みんなで救われたいのです、私はね。
泰庵さん
分かりやすかったです。ありがとうございました!