回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「清香」一人がためなりけり
こんばんは
先日から沢山のご質問をありがとうございます。一連の質問を概観すると
こういう場合は救われるのか?
こういう人は救われるのか?
救われるはずなのにこうなってるのはなんで?
など疑問は多方面に渡っているように見えて、結局は「清香」様お一人が救われるかどうかです。
親鸞聖人も「親鸞一人がためなりけり」と言っているでしょう。
「みんなで救われたい」とのご希望は崇高なように見えますが、「清香」様お一人が救われないとみんなが救われないわけです。「清香」様お一人が救われるならみんな救われると確信できるでしょう?
救われる理屈を知っても、救われないのです。目的地までの地図を持っているのと実際に歩けるかどうかは違うのです。実践しましょう。
「真宗学」を学びたいのなら大学に行ったり、経典、論文を調べれば色んな解釈が得られわけです。
「真宗」に「あなた」を学びたいのであれば、まず「あなた」が救われてください。
そしたら犬も猫も牛も豚もみんな救われますよ。生まれ変わり(輪廻転生)があろうとなかろうと関係なく浄土も救いも実現しますよ。
病気の人も病気のまま救われますよ。前世にも後世にもとらわれず、今救われますよ。
南無阿弥陀仏
※正直勉強不足をごまかした回答でもあるけど、大事なことです。疑問に全部きちんと回答できなくてごめんなさいね。
知りません。
吉武師が、本当にいい回答をされていらっしゃいます。
まさにその通りと味わさせていただきます。
味わうというのは、人が味わうのではありません。
あなた自身がどう味わうのかじゃないですか?
テレビコマーシャルで、マツコさんが、蟹カニと煩いといっていますが、
好き嫌い、合う合わないがありますから、 阿弥陀さまの御誓願は誰でも救うですが、
私にとっては、阿弥陀さまから願われている私、救われている私なんです。
その私は私以外の誰でもありません。
私たちはいろいろな個性を各々持って、産まれ、生き、そして還ります。
また往くかもしれないし、往かないかもしれません。そんなことを考えるくらいなら、
いまの自分を報恩感謝の気持ちを持って生き抜くこと、
そして、世の中がより安穏なれ、みなさんの幸せを祈るばかりです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
追伸
回答したことでかえって、ご不興を買っていまいました。
お詫び申し上げます。
ご理解いただける回答ができず申し訳ありません。
私が申し上げたかったのは、
自分であろうと、他人であろうと、病気や障害のことを過去にさかのぼって心配したとこで、
病気や障害は治りません。
かえって、不安や悲しい想いになってご自身を辛くしてしまうのではないですか?
なぜ、私だけがこんな目に、なぜこの人はこんな病気を背負わされたんだろうと、
思ってしまうからです。
ですから、振り返ったり、回りを眺めるのはやめた方がよいのではないかと、
ご自身の将来のみを見つめて、前向きに歩いて欲しいと
あなたの幸せを願ったのです。
アドバイスさせていただいだきましたが、逆効果でありました。
私の力不足、大変失礼いたしました。
質問者からのお礼
吉武さん
ありがとうございます。さっき歎異抄を読んでいて、私もそれをしみじみ感じておりました。
謝る必要はまったくありません。私の頭が固いだけです。
三浦さん
生まれつき病気の人をみるとつらくなるし、私は自分自身も生まれつき病気なのです。病気の人なら誰しも一回は思う疑問でしょう。あまり責めないでください。
吉武さん、三浦さん
私は楽観できないのです。救われているはずなのに救われている実感が持てないのです。そもそもそんなことできるなら初めから質問していません。ただただつらいのですよ。
この文章を書きながら私は泣いています。涙がとまりません。