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過去にしでかした事への後悔で生きている事が心苦しいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

こんにちは。和和と申します。
自分の力ではどうしようもない事があり、質問させていただきます。
よろしくお願い致します。

現在20代後半なのですが思春期の頃、当時親交のあった友人にとんでもない事をしてしまいました。

プレゼントを買ったのに、実際は家にあったお菓子のおまけの詰め合わせのような物を渡してしまったのです。自分が欲しくなったのか、あげるのが惜しくなったのだと思います。
この事を知った先生に家族の前で尋ねられ、やっていないと嘘までつきました。自分でも救いようがないと感じます、欲深くて本当に愚かでした。

最終的には話せるようになりましたがその過程、やってしまった当時の自分が脳裏にビデオを見ているように不意に思い返すことがあります。
10年以上経ちますが思い出すと四六時中その記憶が頭の中にあり、生きているのが心苦しくて仕方ないのです。

事の真相を知っているか定かではありませんが親にはこの話をしたことはありません。話しておくべきかも迷っています。

人との関わりが限りなく少ないけれどありがたいことに食や物には不自由なく過ごしてきました。
何度思い出してもなぜあんな事をしたのか、自分の事ながらわかりません。

自身の蒔いた種ですし、救いの糸口を求めようなどとおこがましい事はわかっています。生き恥を晒しますが一人で抱えるのが正直辛いです。
墓の中まで持っていこうとすら思っていますが気の許せる友人にいつか話してしまいそうで、まだ逃げ道を求めようとする自分の性根の腐り具合に嫌気がさします。

甘えたことを言わず、変えられない過去を悔やみ罪の概念を感じ続けるのがふさわしいのでしょうか。過去は過去だと自分を律する苦い経験だと先を見てもいいのでしょうか。もうわからなくなってしまいました。

ご助言をいただけますとありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏さまに話してしまいなさい

和和さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

和和さんは、思春期の頃に親交のあった友人に対してプレゼントを買ったのに違うものを渡してしまったのですね。事を知った先生に和和さんは家族の前で尋ねられ、やっていないと嘘をついてしまったのですね。和和さんは、変えられない過去を悔やみ罪の概念を感じ続けるのがふさわしいのか、過去は過去だと自分を律する苦い経験だと先を見てもいいのか、分からなくなってしまったのですね。

仏教を信仰する信者さんは、お仏壇の前でお勤めをします。お勤めの最初は礼拝です。仏さまやご先祖さまに礼拝をします。和和さんが誰かと出会ったら頭を下げて礼をしますね。それと同じです。

次に書かれているのは懺悔です。仏教では濁点をとって「さんげ」と読みますが、意味は同じです。してしまって罪を反省します。常日ごろ何も罪の意識が無くても懺悔をするのです。

例えば、僧侶は高野山において下駄を履きなさいと言われます。草履はダメです。なぜなら、知らないうちに地面の虫を踏んでしまうかもしれないからです。下駄なら草履に比べて接地面積が小さいため、虫を踏んでしまう確率が減ります。このため、下駄を履きなさいと言われるのです。

「一寸の虫にも五分の魂」ということわざが示すとおり、気がつかないことにも思いを馳せるものなのです。仏教の懺悔は、人には言えないような罪も気がつかないような罪も反省するのです。

和和さんは、「墓の中まで持っていこうとすら思っていますが気の許せる友人にいつか話してしまいそう」と言っておられますね。それなら、仏さまに話してしまいなさい。きっと黙って聞いてくださるはずです。

和和さんが仏さまから懺悔の心を受け取り、次に進んでいけるよう祈念しております。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

回答下さりありがとうございました。
仏さまに

誤送信してしまいました、大変失礼致しました。

回答下さりありがとうございました。
仏さまに懺悔の気持ちを込めてお話をさせて頂こうと思います。

自責の念で長年とても苦しかったのですが今回助言をいただけて少し楽になれた気がします。
本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ