親不孝すぎて辛い
私なんかを育てさせてごめんなさい、と最近よく思います。私を育てるために苦しんでる姿を見るたびに罪悪感で胸が押しつぶされそうになります。将来は楽をさせてあげたい。でも自分にそんな力があるか自信もない。親孝行な娘になりたい。どうすればいいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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子供の「ために」でなく、子供の「おかげで」苦に立ち向かえる
僕も大学時代、親元を離れて一人暮らしを始めた時、母の偉大さに気付きました。ご飯を作ってくれたこと、脱ぎ捨てた洋服を洗って畳んでくれていたこと、家事を自分でやるようになって心の底から感謝しました。そしてバイトを初めてからお金を得ることの難しさ、重さを知り、父への尊敬が深まりました。
僕が覚えている限り、父から何かを言われたことは二回しかありませんでした。
1つは大学受験の時です。希望していた大学に全て落ちてしまい、日程の遅い二次募集を慌てて申し込んだとき「もしこれでも落ちてしまったら、浪人生としてもう一度大学受験に挑戦してもいいですか?」と聞いた時です。父は「受ける前からそんな話をする奴と話すことはない」と言いました。
もう1つは、僕がお坊さんになりたいと言った時です。父は難色を示していましたが、最後に「向上心だけは捨てるなよ」と言いました。
八月には三十歳になりますが、僕もまだギリギリ20代です。結婚して、2歳になる娘もいます。僕は親になりました。それまで感じていた色々なことが確信に変わりました。まず、親は「りかさん」だから育ててるんじゃないんです。夫婦で授かった「子供」だから育ててるんです。そして子供の「ために」苦しんでいるんじゃないんです。子供の「おかげで」苦しいことに立ち向かえるんです。
産まれたばかりのりかさんは、泣くこととおっぱいを吸うこと以外、何も一人では出来ませんでした。それから歩いたり、笑ったり、怒ったり、話したり、嘘をついたり。色んなことが出来るようになる度に、りかさんからかけがえのない希望と笑顔をもらってきました。そこに貸し借りなんてありません。
だからどうか親孝行する「ために」生きないで下さい。親の楽の「ために」あなたが苦しまないで下さい。あなたがつまづいたり転んだり泣いたりしながら、力強く自分の道を歩んでくれるだけで、なにより嬉しいんです。
僕も、りかさんもまだ若いです。赤ん坊に出来る親孝行がすくすく育つことであるように、今の僕達に出来る親孝行は真っ直ぐに生きていくことではないでしょうか。
あと二十年、三十年したら今度は親が一人で何かが出来なくなっていきます。恩返しはその時までとっておきましょう。その時までに、真っ直ぐに生きる自分になろうと、僕は向上心を燃やし続けています。
罪悪感を感じてこそ、親孝行がはじまるのです
私なんかを育てさせて、と最近よく思うそうですが、最近何かそれを思わせるようなことがあったのでしょうか。だとすれば、それは、りかさんや親御さんとの関係以外のところに悩みの種があるかもしれません。
また同じような状況でも、まったく罪悪感を感じない人も大勢いますから、りかさんはそれだけ、親御さん思いで感受性が豊かな方なのでしょう。親不孝すぎるのではなく、自分が親不孝だと感じる優しい心をお持ちの方だと私は思います。
将来、楽をさせる自信がある人なんてまずいないでしょう。そこにあるのは楽をさせたいという、親思いの気持ちです。
詳しい事情は分かりませんので、あくまで私見ですが、罪悪感を感じたり、親不孝だと感じるところから、本当の親孝行がスタートすると思います。ですので、これ以上自分を責めなくていいんですよ。そして今日までの気持ちを否定せず、そのまま大切に心の引き出しにしまっておいて、しかるべきときに見つめなおしてみてください。ああ、思い起こせばあの時がスタートだったのだな、と思う時がきっとくるはずです。
生きているだけで十分です。
普通の母親なら子供が授かりますように神様にお願いし、
無事妊娠してまずどう思うでしょう。
とりあえず無事に生まれてきて欲しい!ではないでしょうか?
そして無事に生まれてきた子供に、生まれてきてありがとう、
私の所に生まれてきてありがとう。
そしていっぱい手を掛け、それで大きくなってくれたら、
大きく育ってくれてありがとう。
子供を育てるのに苦労があるのは当たり前です。
そして親孝行をしたいと思ってくれている子供にありがとう。
その気持ちに本当にありがとう。
そしてお母さん、生んでくれてありがとう。
生きているだけでありがとう。
みなさんありがとう。
まだ20代・・・
りかさん、初めまして。
この問いを読んで胸が熱くなりました。
20代のあなたが、そんな気持でいられるなんて、
もし、あなたの親が知ったとしたら、きっと・・・
水上さんも仰っていますが、
「私たちの元へ生まれてきてくれてありがとう」
「ここまで大きく育ってくれてありがとう」
「親孝行な娘になりたい、だなんて・・・
優しい気持を持った子に育ってくれてありがとう」
そして、「そんな気持にさせてしまう親でゴメンね」
となるのではないでしょうか?
「親不孝すぎて辛い」などと考えずに、
日頃から、「いつも有り難し!(笑)、もとい、ありがとね!」と
一言伝えるだけでも、20代のりかさんの親に取って、
十分な親孝行になると思いますよ。
今すぐできる親孝行
どういう経緯で親御さんに対してそういうお気持ちになられたのかは分かりませんが、まず今回は親孝行したいという気持ちを、
①親御さんと感情的にならず上手く会話ができるようになりたい
②正しく私を理解して受け止めてもらいたい
③親のために何か力になりたい
という気持ちに切り換えて考えられてはいかがでありましょう?
何故ならば一番の親孝行は「親と子が隠し事なく語り合える関係を築くこと」=風通しの良い意思疎通、風通しの良い親子関係であるからです。
それが親御さんとあなたの一番の安心にもなるからでもあるからです。
親子間のすれ違いは早いうちに修復するべきです。
私はかつて親に迷惑をかけて以来、親に申し訳ない気持ちが続き、上手くコミュニケーションが取れず、気持ちがすれ違ってしまった時期がありました。
おかしな表現ですが、親御さんはあなたという子供を持つまであなたを育てるという経験はありませんでした。
親子といってもはじめから完璧ではなく、成長するにつれて小さな衝突を繰り返して、その年、その歳ごとに一番良い関係を見出してゆくべきなのです。
毎日がお互いに親子生活の初めて同士で、毎日が真新しいことの連続でお互いに発展途上です。これからもいろんな衝突があるかもしれません。
もっと言えば、お互いに未完成でありつつ一番いい関係を、見出してゆくべきなのだと思います。
親子関係の改善の為にも100点満点の完璧な子供を求めるよりも、どんぶり勘定、程よい距離間、60点そこそこで上出来、という緩やかさから再スタートされてはいかがでしょうか。
親御さんの期待に答えてあげられず苦しかった部分があったかもしれませんが、まずは親孝行の前に親子関係の再スタートからです。
伝えることは恥ずかしいかもしれませんが、今度親御さんとお話になられる時に、あなたが親に対して申し訳なく、後ろめたい気持ちを抱えているよ、もっと私の事を分かって欲しいよ、親を大事に思っているよ、ということを勇気を出してお話になってみては如何でしょうか。
感情的になってしまうようなら、紙に記して渡してみてください。
それが、あなたが今すぐに出来る最上の親孝行であると思います。
再び「父母恩重経」について
りか様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「父母恩重経」は下記問いにても扱わせて頂きました。
http://hasunoha.jp/questions/125
父母恩重経では、親の大恩を十項目挙げて、その報恩へ向け仏法の実践を促す内容であります。偽経説が有力ですが、親の恩を考える上において非常に大切な内容を扱っております。
是非この機会にお知り頂きまして、親への恩とご自身のこれからにおいてなすべきこと、善徳行をもって報いて、お幸せになられていかれることをお考え賜われましたら幸いに存じます。
また、親御様はりか様を育てるために苦しんでいるわけではなく、ただりか様のお幸せを願っておいでで一生懸命であり、そのことでりか様が苦しめば、親御様はただ悲しまれるだけではないかとも僭越にも存じております。
以下、ウィキペディア解説引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/仏説父母恩重難報経
懐胎守護の恩
始めて子を体内に受けてから十ヶ月の間、苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのみである。
臨生受苦の恩
出産時には、陣痛による苦しみは耐え難いものである。父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案ずるのである。
生子忘憂の恩
出産後は、父母の喜びは限りない。それまでの苦しみを忘れ、母は、子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに染まるのである。
乳哺養育の恩
花のような顔色だった母親が、子供に乳をやり、育てる中で数年間で憔悴しきってしまう。
廻乾就湿の恩
水のような霜の夜も、氷のような雪の暁にも、乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝る。
洗灌不浄の恩
子がふところや衣服に尿するも、自らの手にて洗いすすぎ、臭穢をいとわない。
嚥苦吐甘の恩
親は不味いものを食べ、美味しいものは子に食べさせる。
為造悪業の恩
子供のためには、止むを得ず、悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじる。
遠行憶念の恩
子供が遠くへ行ったら、帰ってくるまで四六時中心配する。
究竟憐愍の恩
自分が生きている間は、この苦しみを一身に引き受けようとし、死後も、子を護りたいと願う。
川口英俊 合掌
親孝行、いつやるか?「もう」している
りかさん、こんにちは。
お父さん、おじいちゃんやおばあちゃんは息災ですか?
喧嘩するほど仲が良いと言います。
それは、無関心ではないということです。心配されているということ、見守られているということ。
そもそも、家族とはなんでしょうか。一つ屋根のしたで一緒に住んでいる人?血が繋がっている人?それだけではないでしょう。
+“惜しみない親切”がされる集団のこと、だと私は思います。
声をかける・ご飯を用意する・掃除をする・けんかする・・などなど。
りかさんちは、家族でいるようです。
しかし、どうやらりかさんは受けてばかり・・と感じてらっしゃるようですね。
自分以外みんな年上の家族から、私は恩恵を受けてばかり。なんのお返しも出来ない。親孝行できていなくて辛い。
でも待ってください。親御さんたちは貴方に搾取されているわけではありません。
もうすでに、あなたから家族へと惜しみない親切がされています。
声をかける・ご飯を用意する・掃除をする・けんかする・学生として勉強する・バイトする・遊びにいく・健康でいる。
それに、受けた恩を、受けた相手に、返さなくてはいけないわけではありません。
受けた恩を、違う誰かに渡していけばいいとも思います。
そうでなくては、ハッピーのサイクルが続いていきません。きっと親御さんたちもそうしています。送る相手のひとりが、りかさん。あなただということです。
“将来は楽をさせてあげたい。でも自分にそんな力があるか自信もない。”
こう思うのは子どもの性(さが)です。よく分かります。でも、きびしくないですか?収入だってないし・・。逆立ちしたって勝てないのに。
お金が無くても、力が無くても出来ることはあります。いつもありがとう、とか。食事を用意するとか。
最後に仏教らしいことをひとつ。無財の七施というものがあります。気持ちがはいっていないと意味がないわけですが、あなたは娘なのですから。娘の気持ちを込めればいいだけ、そう思えば・・楽になれないでしょうか。