身体表現
何度もご質問して申し訳ありません。
タイトルの病(正しくは、身体表現障害)にて、2回全身脱力が起こり、倒れた後意識はあるものの、15分ほど力が入らず倒れていました。
主治医の分析にて、今回は体調変化により身体に出たが、私は言葉でも身体でも(夢や実体験でも)「死の体験」を繰り返し表現しているそうです。
そこでご質問ですが、仏教で「死の体験」或いは「死後の体験」、或いはその類いのものをできる何かってありますか?
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私の死、あなたの死
「私の死」を私は体験できない
死んだ時に「私」はいないから
しかし、「あなたの死」を私は体験しなければならない。これが何よりも辛く、悲しい
「あなた」の「死」あるいは「死後」を引っ提げて私は生きていく。
そして「誰かの死」を悲しめない私は悲しい存在。ニュースから流れてくる「誰か」の死を私とは無関係な話だと分別し、悲しむべきことを悲しめない私の存在に気づかせてくれるのが仏様の「大悲」
「大悲」とは本当に悲しいことを教えてくれる仏様の「はたらき」です。
ご質問の意図とそれるでしょうが、「臨死体験」や身体表現障害による?「死の体験」というものは、どこまでも「おそらくこうであろうという私の死・死後のイメージ」の体験なのかもしれません。
私が体験できるのはやはり「あなた」の「死」であり「死後」でしかない。
葬儀や法事は強くそれを感じる場です。
仏教はそこから離れられないでしょう。また、だからこそ「私の死」にも強く思いを馳せるのでしょう。
ひかりさんの「死の体験」も生の営みの中にあるのです…もちろん裏返せば死への歩みの中にあるとも言えるのですが…
御身体大事になさってください。
ひかり様の症状については専門的知見が必要なので主治医の先生のお話を尊重し、hasunohaはある程度お気楽に?好きなように活用してください!笑
いつでもお待ちしてます。
お大事にしてください
こんにちは。曹洞宗のものです。
大変な病にかかってしまいましたね。お大事にしてください。またその病を通して貴重な体験をされたようですね。
さてお問い合わせの「死の体験」「死後の体験」の件ですが、私たち曹洞宗の教えや修行にはないと思います。また曹洞宗では「死にそうになるほどの苦行」もしません。(早起きとか広い庭の掃除とか、つらくて死ぬかと思ったことはありましたが笑。これは苦行じゃないです)
お釈迦様はお悟りを得る前、6年間に及ぶ苦行(断食や呼吸を止めるなど、身体をとことん死のギリギリまで追いやるような行)を行いましたが、最終的にはそれは全部捨てて、坐禅によって悟りを得ました。お釈迦さまはそのような苦行を否定し、苦しすぎず楽すぎない「中道」による修行をお示しになりました。そういう理由からもお問い合わせのような行はしません。
回答僧の方の中に「死の体験旅行」というワークショップをされている浄土真宗のお寺さんがあります。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2014-08-02
内容についてはよく分からないので、お問い合わせになっても良いと思います。
また、今流行の「終活」の中で、葬儀社さんで、棺桶に入ってみる体験をさせてもらえる所があるようですよ。
それくらいしか思いつかないです。回答になっておらずすみません。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
貴重かどうかわかりませんが、今回の体験?は、病気の1つの症状に過ぎません。特に怖いとか苦しいとかはなかったです。慌てず静かに倒れていました。
ハスノハではよく『今が大事』と書かれてありますが、死への思いが強い…これが今の私らしいです(笑)。
ワークショップ情報、ありがとうございました。以前、こちらに書かれてあったこと思い出しました。『そのときの感情』を体験する感じなのかな?と、そのとき思いました。
全てをお任せして死ぬとはどんな感じかな?、どうせ体験する(症状が出る)なら、そういう体験してみたいと思い、ご質問させていただきました。
光輝様の貴重なお時間を割いて下さり、ありがとうございました。
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吉武文法 様
いつも見守り下さり、ありがとうございます。
「大悲」のお話し、心に入ってきました。
私は常に自分の死しか考えていません。それはいつも書いている通り?、私の希望であるからです。「あなたを大切に思う周りの人たちが悲しむよ」と言う人もいますが、小さい頃からの出来事のせいか、全く心に響きません。
ハスノハでのお答えを読んでいると、精神的な病をお持ちの方に対して、「医師は病しか治せないけど仏教は全てを楽にする」と言うものを見かけます。私はそれに懸念を抱いています。
考え方を変えれば、また感じ方が変われば良くなるものも確かにあるかも知れませんが、根底から沸き上がる原因を深く探り、それを薬と療法で良くしなければ危険だと感じるご質問もあるからです。精神的な病を軽んじていると感じます。
そんな中で今回、
>ひかり様の症状については専門的知見が必要なので主治医の先生のお話を尊重し、
これを読んだとき、私はとても安堵しました。お陰様で、文法様のお言葉を、素直に聞くことができました。そして、また気付きをいただきました。
私は「私の死」だけでなく、私の死を『外側から』見る体験をしなければならない、と。「私の死」を「あなたの死」として見る必要があると…初めて思うことができました。
>好きなように活用してください!笑
ありがとうございます(^^)。そろそろご遠慮した方が良いかなぁ…とも考えていますが、もう暫くお世話になるかも知れません。そのときには、宜しくお願い致します。
今回も、大きな気付きをありがとうございました。