回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
落ち込んでも、そこに心を留めない
私も落ち込むことがあります。
嫌な思いをして気持ちが高ぶることもあります。
人間ですからね^^
でも、その状態が長く続かないように心をコントロ-ルします。
ご存じかもしれませんが「色即是空」という言葉があります。
ある、と執着すればそれは存在します。
けれど、ない、と執着を捨てれば、それは無いのです。
物事には様々な見方が出来ます。
なつみさんがどのような原因で落ち込んだのかは分かりませんが、偏った見方にこだわらず、色々と見方を変えてみて下さい。
そうやって、執着から離れることが、心を楽にすることになります。
理想を過度に高く持たない
こんにちは。亀山純史と申します。
私の場合、まずは、しっかり落ち込みます。(笑)
落ち込みの度合いは、「理想とする自分」と「現実の自分」とのギャップに比例します。
「自分はこうあるべきだ」という理想と現実の自分との差が落ち込みを生みます。
ですから、「理想とする自分」に対しては、「理想を過度に高く持たない」ことが大切だと思っています。
「理想を過度に高く持たない」とは、決して、消極的に生きることを意味してはいません。たとえば、「私は将来オリンピックに出場したい。」という理想を持っている人が、あなたの周りには何人いますか。少なくとも、私の周りには誰一人としてそのような理想を持っている人はいません。しかし、みんな消極的な生き方をしているかと言えば、そうではないわけです。
「理想を過度に高く持たない」ということは、「自己分析の上に理想を掲げる。」ということです。つまり、理想を持つ場合、「自分の今の状況を認めること」が大切だということです。仕事でミスばかりをする場合、「自分はよく仕事でミスをする人間だ。」と自分の今の状況を認めることがちゃんとできるかどうかです。その上で、「ミスをしないようにしたい。」という理想を掲げます。ちゃんと自分の状況を認めることが出来れば、「ミスをしないように。」という理想とは違う結果が生じ、落ち込んだとしても、一方では、「このような私は、ミスをしても仕方がない。」という見方が生まれてくるでしょう。そうすれば、ミスをしたことは良くないことですが、前向きに、向上心を持ちながら物事を考えていくことが出来るようになると思っています。(これは、開き直りではありません。開き直りには向上心はないでしょう。)
以上、私はこのようなものの見方をしながら生活をしています。
最後に、「このような私は、ミスをしても仕方がない。」という思いは、念仏を通して仏様に聞いていただいております。
なんぼでもありますよ~
落ち込む原因は様々なんですが・・・
いくらでもありますね。
どうやって復活していくかですが、私の場合・・・
1、ノートに書きなぐる。
現在のありのままの感情を書いたり、もう少し余裕があれば落ち込むに至った原因なども分析して書きます。
2、海にストレスをぶつける。
石原良純さんがやっていたのを参考にしたのですが、スコップを使って砂浜の砂を掘って、波打ち際に投げていきます。
3、そんな自分を許してあげる。
落ち込む原因を作ったアカン自分を受け入れる。
4、お経。
本堂でお経を読みながら、できない自分・辛い出来事を思い浮かべます。
すると、語気が強くなってきたり、木魚のリズムが乱れてきたり・・・
感情的な自分を仏の前にさらけ出します。
仏に包み込まれている実感が湧いてきて、心が軽くなりますね。
坐るかな
私なら坐禅をするかな。
あまり落ち込むこともありませんが、イライラしたり、不安になったりするときは坐禅をします。
刺激の多い生活の中で見失いがちな自分のことを再確認するために静かに座るというのはいいものです。
もちろんその時の心の持ちようというのを知らずにただすわっても意味はないですが、その辺をよく学んだ上の話です^_^
是非オススメです。
質問者からのお礼
たくさんの回答ありがとうございます!
お一人お一人拝見させていただきました。
自分に出来ることから始めたいと
思います。
本当にありがとうございました。