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やる、とやらない、ということ。 個性と自我について

こんにちは。 いつもHasunoha問答を読ませていただき、勉強になります。

やる、とやらない ことと、個性は邪魔になるのか、の問題にはまっています...。上手く説明できないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

私は自我が強いです。 そして悟りの境地までは至れずとも、煩悩や自分の、物事を苦しくしてしまう思いを改善したいと切に願っています。
これまで、自分の性格特質や内的向上として、心理的アプローチからの療法を受けていますが、やはり前にはだかるのは“手放す”ことの難しさです。
これは、やらない ことなんだとわかります。何とかしようとしない。私にとっても、ここはとても肝心な部分だと思います。(この質問書いていること自体、もうおかしいでしょうか...。)でも、やらないと、前進もない気もします。

相手も自分もない、真ん中の部分。これは、瞑想などで一体感が得られるので、何となくわかるんです。ですが、ずっとこれでいるということは、自分を捨てて(なくして)生きるということでしょうか。
自分の個性や特徴を見出し、広げ、自己肯定できるようになり、自分の人生を生きていく、ということそのものは、むしろ真ん中でいようとすることには邪魔なものなのでしょうか。相反しますか?

できれば私は、どちらでもありたいのですが、これでは欲が強すぎますか?

よろしくお願いします。

有り難し 13
回答 2

質問投稿日: 2015年6月26日 17:28

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

バンジージャンプに行って、自分を投げ出す感覚を学ぶ。

自分が「自分」でありたいと固執するあまりに失うのが怖いのではないかと。
大事に取っておきたい自分があるからリミッターができる。
本当はそんな自分らしさなんぞは、どこにもありゃしない幻です。
イイトコロだけを切り取ったfacebookやラインのアップのようなものだと思うことです。イイトコロアップの前後もイイトコロでない状態も人間の真実。
そこも隠さずうち明かす勢いで、体裁よくみせたい自分の自我・エゴも打ち負かすことです。自分自分したOSがそこにベース的に作動している事を見抜くのです。
それは作った自分らしさを演出した自分の設定。それは嘘の自分、はからい、なんだと。
それが分かれば、あなたの質問自体すら手放しができる。
悟りが成就する。
人間24時間ずっと自分です。 
理想の自分らしいところ、外向けな自分でない時もある。
外の人たちに自分を良く見せようと「外面よしお・外面よしこ(仮名)」であろうとするから、裏表ができる。隠し事ができる。守るものができるのです。
仏行は、念仏、坐禅、写経、瞑想、滝行なんでもいい。
とにかく只管に「自分を事実にお預け・お任せすること」ですよ。
おそらくアナタは、質問のタイトル通り「やっていない・やれていない・なげ出せていない・おまかせできていない」だけです。判別屋さんです。
今日さっそく仏道修行らしい事でなくても、まな板でキューリ・ニンジンなどを切る際に、今までの切り方でないようにやってみることです。
するとそこには必ず発見がある。新しいものに出会う。
そうすると旧来の考え上の砂上の楼閣から脱皮する。
はじめて「今」をみることになる。
苦しみ深き人の100%は考えの上で我他我他やっている。だから苦しい。
自我ルール・自分ルール上でやっていても都合しか生まれない。
だから修行らしいスタイルでやっているようでも、自分レール上であるから仏行・仏の状態にならない。自分を立てて、のぞむことは人の行・人の状態に過ぎんのです。
ご安心ください。いくら坐禅や瞑想を深く行じようが自分が自分で無くなった人間はいません、この回答する男も変人ではありますが、何かが無くなっちゃったわけでもありません。
自我がある。結構なこと。
それを修行のエネルギー・材料に用いるのです。
一休さんも負けん気が強かった。だから悟りを成就したといわれています。

2年11ヶ月前
回答僧

円通寺

邦元

謙虚な姿勢でいましょう

loutus-universeさま

私にお応えできる内容でないかもしれませんが、思うとことを記します。

自分の人生を生きるということは、自分を最優先にしてしまうということなのかと思います。そうすると自分が前に出てきて、仏さまのお導きでない生活になってしまうように思います。

常に謙虚に、しかし思いが起きてもそのままに、取り扱わない。ということではないでしょうか。

そうしたコツをつかんでいくと、坐禅をしている時だけでなく、日ごろの生活の中でも、我慢や、あきらめではなく、周りで起きていることを、取り扱わず、生活できると思います。決断する時は決断するわけですし、周りから見たら自分がなくなっているようには見えないのではないかと思います。心がなくなるわけではないですからね。

2年11ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

...やっぱり私にはムリかも... ... 
ご回答ありがとうございました!

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