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ただ楽しいんです

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仕事関係の勉強をしています。どこの世界(どの職種)に勤務しようと多かれ少なかれ「常に勉強」だと思います。本を買ったり、暇さえあれば勉強をしています。

それが家族は「お金、もったいない」。
「いや、もったいなくない」の私に「親を愚弄した」です。
「努力して何になる?」とか。

「神様仏様、ありがとう!」って思わず叫びたくなるほどなチャンスを手に入れました。だったら、やれる事はやりたい!!
と思っています。私は自分が気づいていないだけで「親を愚弄している」になっているのでしょうか?

昨日の努力や誰かの期待を超えたい!と思うことが、そんなにいけない事とも思えずにいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ただ楽しんで!

こんばんは

ぴょんこさんは親御さんを激しく憎む気持ちと、激しく求める気持ち、両方あるのかなと推察します。

でもぴょんこさんはぴょんこさんです。

「ただ楽しい」ことを「ただ楽しんで」ください。

そこに親の同意は必要ないのです。もちろん同意されることは嬉しいこと、同意されないことは悲しいこと・悔しいことではあります。
しかし、「楽しいこと」が同意されないからといって「楽しくないこと」になるわけではありません。楽しむのはぴょんこさんです。

私は勉強すること、努力すること、何よりも、希望や願いをもってそうして取り組むことは素晴らしいと思いますよ。

今のぴょんこさんは輝いているのではないですか?

親御さんについては、

「私は愚弄したつもりはない、でもそう感じたのなら申し訳ない。私があなたの気持ちがわからないように、あなたも私の気持ちはわからない。私は私の楽しいことのために努力する。あなたに認められるためではなく、私が私を認めるために!」

というスタンスでよいのでは?

時節柄、体調に留意して無理せず頑張ってください。応援しております。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武 文法 様
見てくださって有り難うございます。
吉武様のおっしゃるとおり、激しく憎む気持ちがあります。正直「求める気持ち」は分かりません。幼い頃、幼いなりに自分で自分を守るため「私の両親は理由があって今の親に預けられた。本当のパパとママが、いつか迎えにきてくれる」そう思うようにしていましたから。そうしないと、やりきれなかった。
吉田様からの御言葉、
・私が私を認める
・今の私は輝いているのではないですか?
に「エンジニアです」と初めて言えるようになった時、初めて自分で自分を認める事ができた日、上司に「今、メチャクチャ輝いとるな。いい顔しとる」と言われた日を思い出しました。
一番、大切にしていた事を思い出しました。
吉武様の「応援しています」を胸に頑張ります。
心から感謝しております。
有り難うございます。

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