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承認欲求に答えないとは??

回答数回答 3
有り難し有り難し 49

ご閲覧ありがとうございます。
仏教とアドラー心理学は似ていると聞き、早速アドラー心理学が学べる本を取り寄せました。

そこに「他人からの承認欲求に答えない」とあったのですが、考えてみればコミュニケーションのほとんどは承認欲求で出来ていると思います。

例えば、ある子には「私は容姿が良くないから辛い」という話しかされません。本当に悩んでいるのだと思い真剣に相談にのって深夜まで話したのとも。しかし後に知りました。その子は日に何度もTwitterで自分の顔写真をアップしていたのです。
情に熱い魅力的な人だし好きなので邪険にできず、その後こういった会話に なんだかなぁと思いながら「自信もって」と返事をしています。
他は、なんというか「間接的承認欲求」?
相手が興味なくとも関係ない、自分の好きなバンドやアニメのことしか一切話さないという人とか。

「私は違う」みたいな言い方になりますが、私は何かが上手く行った時、自分で「やるなぁ」と自己完結するので他人に褒められるよう会話をリードしません。好きなものも自分の中でだけ盛り上がっています。
私が話題を投げかける時は「ハリーポッター好きだったね。映画始まるね」「オススメしてもらった本すごく良かった」と、相手も盛り上がれることが中心です。

しかし、上記のような人にこう会話を投げ掛けても、話し半分ですぐ自分の話に戻ってしまうんです。
みんながみんなそうという話でもないのですが、失礼な言い方ですがコミュニケーションのキャッチボールができることがあまりないです。
お互い話を聞ける友人はとても好きで相手からも申し訳ないほど好意を頂けますが、そうでない人といるとかなり疲弊します。
ぎりぎり十代ですが、この年辺りは特に話を聞いてもらいたい欲求が強いのかもしれません。が、それにしても結構な比率でこうなので、承認欲求に答えないを実現すると
「あの男性からもこの男性からも連絡がきて困っちゃうよ」
「うん」
「「……」」
という状態が常に起きると思いますが、この「承認欲求に答えない」は円滑な人間関係を築く上で可能なのでしょうか?

ちょっとうんざりしてきたのと、他人に認めて貰いたいという執着は苦しいものだと思うのでむしろ答えず癖にさせない方がいいと思い、生活に取り入れたいのですが……加減がわかりません。
この「承認欲求に答えない」をどう思われますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この世界は、あなたが作り出さなければなりません。

みんなから認められたい、、、
この気持ちは誰でも持っています。
この欲求が「承認欲求」です。

やんさんは「他者からの承認欲求に答えない」と書かれていますが、、、
若干違いまして「自分の承認欲求を他者から求めない」というのが本来の在り方です。

なので、友達から容姿が悪いと相談を受けられたこと、これなどは、承認欲求をあなたに求めてますね。
その裏で、自分の写真もアップしている。
これは、世間からも承認欲求を得たいのです。

もうこれではクレクレちゃん。
承認欲求を満たしてくれる人がいなくなったら、すがってでもそんな存在を探す航海に出ていくのかも知れません。

映画の話や、本の話、、、、
結局他者はあなたとは違う価値観や思いがあるので、どんだけホットな会話を振っても、話半分に聞いてしまわれるのは、不思議な事ではありません。

というか、「話最後までしたいよ」というやんさんの承認欲求が出てしまっています。

じゃあ、自分に湧き上がる承認欲求をどうすれば満たされるのか?ですね。
それは「自己受容」、ありのままの自分自身を受け容れてあげるのです。

先ほどの話なら、、、
彼女たち、話半分で終わってしまったな。
やんの話のホットさが足りてないのかもしれないな。
次はどうようにすれば聞いてくれるかな?
など。

ご自身が「承認欲求に期待しない」在り方で、周囲の人たちと関わっていかれればと、私は思います。

楽しく会話をするには、そりゃあ会話のキャッチボールが出来る事に越したことはありません。
しかし、会話の中で承認を求められたならば、しっかりと相手のお話を聞いてあげて下さい。
会話で一番大切なのは「傾聴」です。

「あの男性からもこの男性からも連絡がきて困っちゃうよ」
「うん」 以上・・・
ではないですよね、普通どう考えても。

「あの男性からもこの男性からも連絡がきて困っちゃうよ」
「えっマジ。」
「で、どうしたいの?」

と、こんな感じで傾聴してあげてください。

「承認欲求に答えない」を実行していると、円滑な人間関係を築くことが困難になるどころか、ご自身の心が疲弊しかねませんよ。

最後に・・・
他者は自分の思い通りになりますか?
他者に答えなではなく、自分はどうするのかを考えて下さいね。

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時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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答えない自由、ということかな。

こんにちは。「コミュニケーション上、答えないという選択肢はどうなのか」ですね。なかなか興味深いご質問です。
「33秒法話」にある、川口師が紹介された「悪口男」の話を思い出しましたよ。
さて、承認欲求ってすごく強くて、コミュニケーションの手段が便利…手軽に多彩に…なってゆくにつれ、ますます高まっているように感じます。そもそも人間の生存戦略は、コミュニケーションによる協力なのですから、本能的に合致しています。(余談ですが、私はフィリピン人の友達がいますが、日本人よりさらに書き込みや写真が多く、リア充アピールが強烈です。)
とはいえ、その現象はごく最近のもの。人間が生き延びるのに、これほどのコミュニケーションは不要のはずです。まだ脳というか人が「いい塩梅」を見つけられず、ドーッと雪崩を打っている感じです。きっと揺り戻しが来る(SNS疲れは、その一つでしょうね)と思います。
「答えない自由」と書きましたが、これはつまり「疲れた〜」とヘトヘトになって、決死の思いでアカウントを閉じたりしなくてもいいよ、自分なりに塩梅(中道)を見つけていいよ、という事なのかと思います。
十代での「いい塩梅」は…分かりませんが、子育てにおいては確実にありますね、「答えない事で育てる」が。きょうび「子どもの要求をどう扱うか」の話は百花繚乱ですが、大きく分けて「受け入れる」「受け入れない」の他にもう一つ、「答えない」があります。「褒める・叱る・反応しない」とも言えますね。
…と話してきましたが、何れにせよ、「答えない自由もある」と心の何処かに持っていれば良いのではないでしょうか。そして「生き物は本来、誰かに認められると関係なく(wihtout)生きている価値がある」ということを。
心理学なら「行動分析学」もオススメです。いや楽しい質問でした。

訂正と追記
返信を読むのは楽しいものです。
訂正は、最初「なかなか辛い興味深い〜」→「なかなか興味深い」
「雪崩を打って」からの部分は、コミュニケーションの量や頻度の増大について、その「行き過ぎ=増大しすぎ」への揺り戻し、なので「受け取らない贈り物は送り主に返る」とは違うと思います。些細ですが。
今回の問いが「楽しかった」のは、本で学んだことを実践し、その経験からご自身が問いを起こしたからです。知識が血肉になっていく過程を見る思いです。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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相槌が欲しい。受け止めてほしい。

なんでもいうことを聞いてあげていては、依存になりますよね。つまり要求通りに応えてあげては人は育たないと思います。
しかし、字のごとく、ただ聞いてあげることは大切なことですよね。話すことで人は思いを手放すことができます。楽になります。否定も肯定もせずただ聞いてあげる。相槌をうって、傾聴なんて言いますが、それも大切なことのような気がします。

あなたもそうでしょう。そうだよね〜。って言ってもらいたいでしょ。みんなそうなんじゃないですか^ - ^

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元 様
ご回答ありがとうございます!
「話すことで人は思いを手放す」
例にも上げましたが、「容姿が良くないから辛い」子も「自分の好きなことしか話さない」人も、基本的に何度も同じことを話すので、手放せているようにはあまり感じません……手放せているのでしょうか。
一切聞かない、そういう話が始まると「あ、時間内から行くね」とさっさと切り上げる人がいますが、自然と周囲には自分の話ばかりする人はいないし、いてもやらないし……やっぱり、話を聞くから(その人にも)良くないのではと思えてしまいます。
これを実戦するべきなのではないかと思うんですが、ちょっと意地悪な感じもするし、相手を凹ませるんじゃないかと思いできません。上にも書きましたが、その人のことが好きだから「承認欲求に答えない」が容易にできず困っています。(まあ友人に限らず、相手を傷つけるのが極度に怖い小心者なのですが)こんなこと心配してたら何も出来ないんですが……。
喋りかけたらもちろん返答がほしいです。しかし、「そうだよね」と言われたいというか、相手とわかりあえたらいいと思っています。だから、意見が相反したなら相手がなぜそう考えるのかわかるまで論争っぽくなります。最後には、お互いに「そうだよね」と言い合える関係になりたいです。あ、結局「そうだよね」と言われたいのか!(笑)
気を付けたのですが、やっぱり質問が愚痴っぽくなってしまいました。嫌に思う面がありましたらすいません……。

海老原 学善 様
ご回答ありがとうございます!
「というか、「話最後までしたいよ」というやんさんの承認欲求が出てしまっています。」
これは、同じ話ばかりだと同じ返答になり「話聞いてる?」と言われてしまうので少しでも違う話題をと思い、提案したのですがすぐ元の話に戻ってしまうので「あ、戻っちゃったなぁ」という気持ちになった、という話です。これは確かに相手を思い通りにしようとしていますね……。以後気をつけます。
「次はどうようにすれば聞いてくれるかな? 」
これは常にしています。だから、話題を沢山出します。これも含めて嫌になってきています。
そして、
「あの男性からもこの男性からも連絡がきて困っちゃうよ」 
「えっマジ。」 
「で、どうしたいの?」
↑今やっているのがこの状態です。
上記の「どうしたいの?」にも、「えー、どうしよう。でも本当に困るんだ」と、ループなんですよ。
「他者は自分の思い通りになりますか? 
他者に答えなではなく、自分はどうするのかを考えて下さいね。」
話題を変えようとするのも、話題をたくさん出すのも、こんなことを言ったら叱られそうですが、「私だって楽しみたい」という気持ち「も」もちろんあるからするのです。だって、接客しに友達と話しているわけではないですから。
話題を出したり返答を考える努力をするのも疲れてしまったので、人間関係を閉鎖したい、と思うようになりました。そこで人間関係を整えるのにいい、仏教にも似ていると聞きつけ購入することになったのがアドラー心理学の本です。
そこで見つけたのが「承認欲求に答えない」です。
私は自分を変えたいから、そして変わった自分によって人間関係を改善したいから、この質問をしたのです。
「「あの男性からもこの男性からも連絡がきて困っちゃうよ」 
「うん」 以上・・・ 
ではないですよね、普通どう考えても。」
感じ悪い書き方になっちゃうなとはおもいましたが、分かりやすくするためにこう書きました。

愚痴っぽい、嫌な書き方になっているかもしれないと思い、気をつけながら修正もしましたが、ご不快になられたのなら大変申し訳ありません。もっといい書き方がなかったのかと後悔しています。
また、「ああ言えばこう言う」みたいなお礼になってしまい申し訳ありません。
ありがとうございました。すみませんでした。

佐藤良文 様
ご回答ありがとうございます!
こんにちは、お世話になっております。
「33秒法話の悪口男」さっそく見させて頂きました。いや、普通こんな返しは思い付かないですね。なるほど……お釈迦様、やっぱりすごい……。
私も、自分の話ばかりしていた時がありました。
自分でもやめたほうがいいと何処かでわかっているのに、やめられない。友達が疲れていくのがわかるのに、やめられない。しかも「話の内容の答え」を求めていないから、終わりがない。友達と別れたあとひどく後悔し、そんなことでしか自分を保てない自分に幻滅し、欲求を押さえる努力(結局自分の話をしてしまう)にも疲れる。苦しみそのものでした。だから、承認欲求発散の相手をする人だけでなく、承認欲求に振り回される本人もつらいという……。(本人の辛さもわかるから、相手にしないほうがむしろいいのかもしれない。でも本人の辛さもわかるからこそ邪険にできないんです……)
「ドーッと雪崩を打っている感じです。きっと揺り戻しが来る(SNS疲れは、その一つでしょうね)と思います。 」
これをとても感じていました。揺り戻し、帰ってくる、というのが「悪口男」に通じるものがあります。
確かに、赤ちゃんのおむつがえやミルクを欲する泣き以外の無駄なき?にもかまってあげていると、無駄なきが増えるというのを聞いたことがあります。
「何れにせよ、「答えない自由もある」と心の何処かに持っていれば良いのではないでしょうか。」
このお言葉で初めて気がつきました。相手が自分の思いどおりにならなくていいように、私だって相手の思いどおりにならなくていい。どんな選択もできる。
「こんなことしたらいけないんじゃないか、悪いんじゃないか」というぼんやりした危機感?がありましたが、そもそも他者が私の選択を狭めることはできないんですよね。
実際には「まるっきり答えない」ということはしないと思いますが、(まさに中道を私なりに探します。承認欲求に答えず、傷つかせず。)こんな選択肢もある、辛すぎるときの逃げ道がある、ということがわかり、身が軽くなりました。お坊さん方と話すと自分の視野の狭さに気づかされますね……。
「「生き物は本来、誰かに認められると関係なく(wihtout)生きている価値がある」」
「行動分析学」、早速注文します!いろんな本があり選べないので、本をすすめて頂けるのは大変ありがたいです。
「いや楽しい質問でした。」
意地悪みたいな質問内容だし、ご不快を抱かせてしまう面もあり、書き方の配慮に欠けていると大変後悔していました。私は本当に未熟ですね。質問すらまともにできないとか酷すぎる。辛いです。このような質問内容に「楽しい」なんて言って頂けて本当にもう何と言ったらいいか。申し訳ないです。ありがとうございました。

佐藤良文 様
追伸までも、本当にありがとうございます!
年末って仕事や学校がないからお坊さんの回答がすぐ見れていいです。
「「雪崩を打って」からの部分は、コミュニケーションの量や頻度の増大について、その「行き過ぎ=増大しすぎ」への揺り戻し、なので「受け取らない贈り物は送り主に返る」とは違うと思います。」
おっと、失礼しました。解釈がずれていました。
SNS疲れは私も中学辺りで経験しました。自分について上げ、反応を気にして何度も何度も通知を確認する。承認欲求を発散したいがためにSNSに投稿を投げかける。これを繰り返していると「反応があろうがなかろうが」その意味のなさ(承認欲求は上限がないから無限に求めるので意味がない)にむなしさを覚える。色々なことを気にするので精神力はギリギリ。「自分なにやってんだろう」と気づいた時には承認欲求を満たすためだけに膨大な時間を浪費してしまっていた……。
この承認を求めた代償に受ける疲れとむなしさが、悪口男の感じたむなしさにそっくりだと思い、そう解釈していました。
「今回の問いが「楽しかった」のは、本で学んだことを実践し、その経験からご自身が問いを起こしたからです。知識が血肉になっていく過程を見る思いです。」
このつたない質問にそのような楽しみを見付けて頂いてうれしいばかりです。
「知識が血肉になっていく過程を見る思いです。」というところなど、学生時代に佐藤様のような先生がいらしたらな……と言わずにはいられません。

hasunoha お坊さんの皆様へ
私にご回答下さったお坊さん、私へのかいとう

(続き)ではなくてもすばらしいご回答により様々なことをご教授下さったお坊さんの皆様、
本当にありがとうございました。大変お世話になりました。皆様、それから皆様に相談する人々に幸あることを願っています。本当にありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ