限りない孤独感を克服できない
前回相談させていただきました。
http://hasunoha.jp/questions/14364
家を出てからの一切のコンタクトも拒否する娘の態度を思えば、私とは接触したくないのだろうと思い。
また娘からのメールには、来てほしくないと責める文が書いてあり、帰らないことにしました。
それは同時に、すべての子供に拒否される、そんな程度の子育てしかしてこなかった自分だったのか、子供にとってはそんな程度の母だったのかと、絶望に堕ちる気持ちです。
子供の頃から自己嫌悪と孤独の塊で、そしてボランティアや仕事などでも、人間関係の構築のが今でも限りなく下手です。
自己犠牲と、そして孤独が天命であるのだと言い聞かせるのですが。
それでも子供に愛を求めてしまう自分。
子供がいたから我慢してきた、がんばってきた。
これ以上の我慢は、自殺するか発狂するか死病になるかだと思い、出たのに、
子供からさえももう終生愛はもらえないのだと、孤独感に堕ちる時が限りなく辛く。
幸せであったと思って終わりたいとの気持ちから、自殺だけはしてはいけないと思うのですが。
こんな気持ちをどうすれば良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
求める苦しみ
桃子さん、はじめまして。質問を拝読しました。
桃子さんは娘さんから来てほしくないと言われ、子育てに対する自信を失っているのですね。自己犠牲と孤独が天命と思ってみても、愛をもらえない孤独で辛くなってしまうのですね。
仏教では人間には8つの苦しみがあると説きます。四字熟語で「四苦八苦」とありますが、仏教用語を語源としています。8つの苦しみのうち1つ、「求不得苦(ぐふとっく)」があります。求めても求めても、得られない苦しみのことです。
桃子さんは愛を求めても求めても得られない苦しみに苛まれていますね。求めるからこそ、愛は逃げていきます。桃子さんは孤独と自分を言い聞かせるのではなく、自立して他人に愛を与えるのです。愛を与えることで桃子さんは救われると仏教では説いています。
桃子さんが愛を与続けられる人になれるよう祈念しております。
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございます。
愛を与え続けての努力も当然の、そしてよりいっそうの無私奉仕をの年月に疲れ果てました。
手のひらは小さく、何かを得るためには何かを捨てなければなりません。
今の自由な24時間の日々のためには、捨てなければならないのは、子らとの心の交流なのかと。
長年、我慢の気持ちを子らにかけらも言わなかったことが、勝手な母とかわいそうな父という形になっているのかもしれません。
私からの愛など誰も要らず、全ての子らから拒否されるままの人生ならきっちりと離婚し、一人の終生を覚悟したいです。