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違うような気がするのです

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

全国のお坊さんこんにちは。
よろしくお願いします。

職場に「この年代になったら人ってそう変わらんから」という人がいます。
それは個性だしいいところも悪いところもその人だからわかるのですが
仕事において、それが協調性がなく他人に迷惑をかけてしまっていたり
ミスをしたりするようになれば「変わらんから」で済ませるのはおかしいなと思うのです。

友達ではなく仕事。
個性も大事だけどみんなで合わせるところや、職場でのルールに添うこと。
ルールがあっても自分のやりやすい流れでやるならばゴールが同じなら良いかとは思うのですが
やり方を変えてゴールも変わってしまったら
職場ではバラバラになるのでは……

性格からか情報や状況を周知してくれない。
血液型からの性格だから、という子もいたり
合わせるようにしてるつもりだけど、私も合わせてもらってるも思えば何も言わないで黙っておくべきでしょうか?

変わらないでいいけど少しだけ合わせてほしい、それを相手にうまく伝えられなくて
最近では私が怒るから、みたいな感じで話をすることがなくなりました。

この年代になると変わらんから、っで諦めるのは違う気がするのは私だけでしょうか?

(年代は今の職場にいる人達、30~40代をさして言っています)


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

布施というはへつらわざるなり 道元禅師

「布施というはへつらわざるなり。」道元禅師
真実の愛は相手に迎合していうべきことを黙っておくのではなく相手が必要なことを言ってあげることです。
真実を説いて差し上げることが大切です。
真実の布施とは相手にとって本当に大切なことを言ってあげることです。
耳に痛いことでも相手がより良くなることを説いてあげることで、相手が受け入れる受け入れざるとに関わらずあなたの思っていることを相手が傷つかない様に伝えてあげることです。
今あなたが相手にしておられるのはあなたの中の仮想の相手です。
あなたが相手にするべき本当の相手はこれを読んでいる時には目の前にはいません。
実際に仕事が始まってその人と半径2メートル以内で直接対談、直接会話するまではその人はあなたの前には実際にはいません。
また、あなた自身も相手に期待や求め、高い人間性を要求していることを自覚すると良いでしょう。
それが怒りを生ずる原因になっておられるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

個人攻撃より仕組みづくり

こんにちは。半年前の「男性」とは別の方なのでしょうね(ま、今回お話しするのは同じことなのですが)。
個人攻撃というのは、まさに「あの人は〇〇だから」という、個別の問題として捉える態度です。一方、「仕組みづくり」は全体として問題回避を図る方向です。どのようなレベル(=細かさ)で問題が起きているのか分かりませんが、よほど細かいことでなければ、チェックシートなど有効かと思われます。まぁトータルとして作業量が増えるので、チームとして適正を目指すよりありませんが。
そんなことをお勧めするのは、貴女が「責めているのではないにの、そう見られてしまう」からです。つまり、周りが個人攻撃に向いているからです。
「変わるか、変わらないか」はあまり意味のない話かと思います。人間はどうしたって変わり続けるものですから。そして基本的な性質は(かなり抽象的なレベルで)変わらないだろうな、と感じています。
ですから、「個人を変える」よりも「仕組みでカバー」の方が、実は労力が少なくて済むような気がするのです。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ