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嘘をつくのをやめたい

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こんにちは、軟弱いもと申します

嘘は泥棒の始まりとも言いますが、私は自分がどうしようもない嘘つきだと思います。

私は嘘をつくのをやめたいです。

なぜなら、嘘は周囲の人を振り回して不幸にするからです。

嘘は職場での雑談、飲み会、ちょっとした時間に話すこと、すべてについて、自分の弱点を隠すためなのか、理想の人物を想像で造り上げてそれを自分の事と話してしまうのです。

結局嘘は露呈しているに違いないので、私は嫌われているに違いないです。
信用のおけない、いい加減で、この職場にはふさわしくないから、早く出ていってほしいと思われてる に違いないと感じています。

自分でも自分のことはどうしようもない嘘つきの、人間になりきれないモノだと思います

嘘は今に始まったはなしではなく、学生時代も、親からその日の出来事を聞かれると、まるですべてがうまくいっており、現実には一人で本を読んで誰とも話さずに過ごしていたのに、架空の会話内容でどのようだったとか友人に囲まれて楽しかった等の嘘、テスト等、目に見える結果が出る際は、自分だけができなかったのではなく、すべての人ができなかった と嘘をつきました

ずーっと嘘をつきすぎて、友人もいません
(親や同僚には居る前提で話しています)

また、自分は何をしたいのか、どんな事が好きで嫌いなのか、わからなくなりかけています
(例えば、食べ物であればある人の前では激辛マニアで、他の人の前では辛いものは苦手としている、実際に激辛マニア時に食べたいと思うものと、苦手時に食べたいと思うものとが異なるなど)

私の嘘で周囲の人をひたすら振り回し、不幸にし続けているように感じます
その感覚さえ、自己保身からでたものであって、ひたすら自分かわいそうに逃げているのではないのか、等、自分が考えていることなのかよくわからなくなります。

嘘をつくのをやめたいです、どうしたらよいでしょうか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それすらも嘘がありますよ

嘘をついているのではなくその前に「何か」しているでしょう。
「何か」を隠していますね。
それがあなたの最大のウソです。
ここでもそれを隠しています。
あなたはたった一つ自分に一番うそをついているだけなのですよ。
人にウソをつくことなんてたやすい。
それよりもっと深刻なウソに気づく時期です。
あなたが自分自身にウソをついて向き合おうとしていないことに向き合えばよい。
あなたがうそをつく理由を本当は自分で分かっているはずです。
そこに向き合っていないのです。
それがあなた自身が自分にウソをついているという事。
嘘をつくのをやめたいというタイトルすらウソになってしまうのです。
タイトルは「ウソをつく理由に怖くて向き合えない」のほうがより素直です。解決に直結するからです。
嘘は自分を脚色するためにつくもの。
本当の自分を隠すために。
守りたい何かの為に。
嘘をつく前にあるそのままの自分は何ですか。
あなたが口にするウソ情報の「前」の真実のあなただけはごまかせません。
そこにあなたは向き合えますか?
そこに、向き合いたくないだけなのです。
自分が自分を一番騙していることに向き合って、完全敗北をすればあなたは、もう嘘をつく必要性が無くなります。
別に責めている訳でもありません。
ここはカッコよくみせる必要もありません。
僧侶とは勝友ですから、ウソいわんでいいのです。
せっかく僧侶に相談するのであれば、習慣づいた嘘をつくという「真実を別の情報に塗り替えてしまう事」をここでまず徹底的に排除してみましょう、ということです。
それをあなたが本当にすれば、ここに相談せずとも一撃で今日から嘘が無くなる人生になれるという事を提案しているのです。
あなたは【嘘をつくのをやめたい】のではない。
親を恐れ迎合したり、素のままの自分をさらけ出すのが恥ずかしい、こわい、結果を観る前に逃げしまうだけです。
それはカンタンに言えば心の中のおしゃべりが過剰であるという事なのです。
いわゆる自意識過剰には二種類あります。
他人の眼を過剰に気にすることと、自己おしゃべりが過剰になる五蘊盛苦というものです。
本当に本当に治したければ坐禅会にお越しください。
その心の中の過剰なおしゃべりをやめる方法をお伝えします。
ここでは答えを申し上げません。理由はあなたのタイトルの決意をウソさせない為、本当にさせる為です。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まずは家族に

それは可哀想な生き方をされていますね。お辛いでしょう。
嘘は周りを振り回すのはそうですが自分が一番辛く虚しくなる行為です。一度素直に家族に話してみたら楽になりますよ。いままでのうそをすべてはきだしたら、すご〜く楽になりますよ。

友達がいないこと、テストのことなど、思い出す限り話してみてください。正直なことの楽なことがわかると思います。
人にどう思われてもいいじゃない。あなたはあなた。ありのままのあなたを受け入れなければ自分も人も幸せになれません。

勇気を出して一歩踏み出したら何か変わりますよ^ - ^

やってみてください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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