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お経(勤行)はなぜ漢文調で読まれるのですか。

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古代人は、漢語が分かったので、あえて日本語に訳す必要がなかったそうですが、現代人にとっては、難しいと思います。本来、仏教は生きている人への教えなはずです。みんなに教えを分かりやすく伝えることが大切ではないでしょうか。お坊さまの中には意訳を取り入れている方もいらっしゃると聞いています。もっと、意訳勤行が広まればいいのに・・・と思います。
当方は、真宗大谷派の門徒です。


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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歌詞が分からなくても ビートルズの曲は感動できます。

いその様

こんにちは、hasunohaの井上広法です。

さて、唐突なタイトルでお答えしてしまいましたが、お坊さんになりたての数年前、ぼくもいその様と同じような悩みを抱えていました。

お経の中身をもっと伝えたい!

そう考えてました。

そんな折り、その悩みをとある先輩僧侶に相談したときに返ってきた言葉が

「じゃあ、井上くん。いったいどれだけの日本人がビートルズの歌を聴いて、その歌詞を理解してから感動していると思うんだい?」でした。

なるほど、必ずしも意味が伝わらなくても心を動かすことは出来るんだと確信しました。

以来、より一層お経を読むときには声やリズムや威儀、たたずまいすべての所作に努力をして、意識をしています。

また、漢文で書かれていることにも大きなメリットがあります。

それは、意味がすぐには分からないことです。

いそのさまが仰るように意味が分からないのはデメリットだけではないんです。

分かりにくいからこそ、お経を深く味わうきっかけとなります。
例えば、ふとしたときに「あ!あの部分の意味はこういうことか!」と閃きに似たような理解をできることあります。

仏教は生き方です。ですから、人生を歩みながらじっくりゆっくりお経を深く味わうためには、分かりにくい漢文の方が適しているとさえ、最近では思います。

また、増田俊康師の仰るように、読経のお経が分かりにくくても、それをわかりやすく伝えるのは私たち僧侶の役目だとも思います。

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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雰囲気が重視されているのだと思います

いそのさんのおっしゃる通り、仏教は本来生きている人のための教えですし、そのため法話や寺報など様々な努力をしているご住職も多くいらっしゃいます。
しかし、藤堂さんが書かれたように「漢文でないとありがたい感じが薄い」というのは、意外と多いご意見かもしれません。

7〜8年ほど前のことですが、テレビで都内のあるご住職が紹介されていました。
「聞いていても意味がわからないお経の中身を知って欲しい」そんな思いで本堂内に電光掲示板を設置し、現在読誦しているお経の現代語訳が流れるようにしたのだそうです。

しかしお檀家さんからは「お経は意味がわからないから有り難い」「雰囲気が無い」という意見が続出し、結局止めてしまいました。肯定的な意見もあったのでしょうが、少数だったのでしょうね。

また意訳勤行を読経したとしても、おそらく節をつけて読む事になると思います。意味がちゃんと伝わりやすいよう、朗読調で読んでいる方は極めて稀だと思います。

全く違う話しで恐縮ですが、以前僧侶の側から「坊さんがキレイな色の衣を着る事はない! どんな時でも黒い衣にしよう!」という運動が起こりました。
しかしお檀家さん側から「儀式の時には立派な衣を着てお経を読んで欲しい」という要望が強く、取りやめになったそうです。

私たち僧侶が思っている以上に、僧侶には「儀式を執行する者としての雰囲気」というものが求められているという事かもしれませんね。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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どちらも大切ではないでしょうか

>もっと、意訳勤行が広まればいいのに・・・
私もそう思います。よりたくさんの人に仏教が広まるために必要ですよね。実際私は、お通夜の際には必ず現代語訳のお経もお唱えしています。お通夜に来る方のほとんどが、私と会うのは最初で最後という方々ですから。

>古代人は、漢語が分かったので、あえて日本語に訳す必要がなかったそうですが
それはどうでしょうか…。仮に分かったとしても極一部の人ではなかったのか、と思います。

さて、本題ですが、現在日本で読まれている、お経はインドの言葉、中国の言葉、日本の古文、日本の現代文があろうかと思います。ですので、漢文のみではありません。また漢文の読み方も呉音であったり漢音であったりといろいろです。お経とは仏様の御教えを説いた(訳した)ものなので、いろんな言葉になるのでしょう。一方、ご真言と呼ばれるものは、「仏様の言葉そのもの」なので、サンスクリット語(聖語)一種類です。

私たちが映画を観るときに、日本語訳版と字幕版があるように、やはりどちらも需要があると思います。どちらも大切です。あくまで私の理想ですが、「仏さまの為に意味がよく分からないお経を僧侶が唱え」、「参列者の為に意味が分かるように僧侶が解説」すればいいと思います。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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お経の意味

いそのさんのご質問、非常にもっともなところだと思います。

私なりに答えさせていただくことにしたいと思います。

そもそもお経というのは、お釈迦様の説法を、それを聞いたお弟子の方々がお釈迦様の死後、お釈迦様はこういう説法をなされた、ということで、多くのお弟子たちが集まってまとめられたものです。

ですから、当時のインドの言葉がもとです。(サンスクリット語やパーリ語)

それが中国に渡って、主に漢字の音を借りながら、中国でわかるように漢語訳されました。

日本に入ってきたときには、僧侶はお経を読み解くことができる方から、漢文訓読としてどう読むかという形で習ったようです。
漢文訓読は、そういう意味では、当時としては日本語訳といってもよいのでしょう。

漢文のまま読むのは、漢文訓読になおしたものは、勉強のために使われることはあっても、読誦としては使われにくいからなのでしょう。

お経を読むのは声明(しょうみょう)ともいわれ、一種の日本的な音楽ともいわれます。

声明のリズムに日本語訳がのりにくいというのも一つの理由なのでしょう。

いそのさんが指摘されるように、仏教は生きている人のためのもので、意味がわからないと伝わりにくいという面は確かにあります。

私の寺は浄土真宗ですが、真宗の教団が合同で「和訳正信偈」という和訳(意訳)の形であげようと試みています。

ただ、それが広まらないのは、漢文でないとありがたい感じが薄い、読誦しにくい、慣れていない、といった声があるようです。

意訳勤行には、今までの読誦と違うという違和感がどうしてもありますし、決定的な意訳勤行が定まっていないので、お経の意味を正しく伝えられるのかといった疑問もないわけではありません。

「経教は鏡」ともいわれ、お経の中に私たちは自分の真実を探すのです。

そういう意味では、たとえ読誦は漢文でも、御法話を聞いたり本を読んだりして、ご自分がお経と向き合うということも、少し違う意味で、大切なことかもしれないと思います。

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最後には、お経と一つになるため

いそのさん、こんにちは。
”お経(勤行)はなぜ漢文調で読まれるのですか”というご質問ですが・・・。

「古人の徳などに、あやかる」為と考えられるでしょうか。
修行道場の入りたて、はじめは呪文のようにひたすらお唱えしておりました。
漢文の素読は近いものがあると思います。
そう考えると、「おぼえる」為ともいえますね。
雰囲気のため、に近いかもしれません。

つまり、「あやかるため」「おぼえるため」「となえるため」。そして最後には、「お経と一つになるため」でしょうか。

以下、関連すると思った質問です。
お経を今の言葉でわかりやすく説明してほしい
http://hasunoha.jp/questions/121

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...
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質問に有り難し!!

いそのさま。

真宗における共通勤行(和訳)の係りをしているものとしては、質問に有り難しを押したい気分です。
意訳勤行がこれから広まっていくと嬉しいです。
ただ、意訳を伝えるなかで気付いた点もあります。

お経とは慣れや習慣も大事です。
とある老人施設でお勤めをしたとき、普段は認知症と呼ばれた方が背筋を伸ばし凛とした姿勢で漢文調の従来のお経を一緒に唱和されていました。
お経の言葉の順番も間違えることなく唱和されていたその方に、新しい意訳勤行をわざわざ伝えなくても十分なのかなと思いました。

もうひとつ、仏教としては分かりやすい方が親しみが持てるかもしれませんが、それは入口の話。
ゴールは漢文であろうが意訳であろうが、お経に込められた願いを自分の体に習慣として落とし込んで、仏教のある生活を送ることです。

昔の人は、分からないから自分で手間をかけ調べて意味を体に落とし込み、お経の世界を思い浮かべながら漢文経典を読誦されていたのだと思います。まるで、絵本を読みながらその世界をイメージされるかのように。
自分で調べて手間をかけた分、念じる世界の広がりを感じる。

井上さんが書かれているように、ある段階までいくと意味だけに縛られずに味わう洋楽のような世界もあると思います。

漢文調のお経を否定する立場に意訳勤行があるのでなく、意訳をきっかけに仏教に触れて漢文やパーリ語、サンスクリット語などの原典の世界も大事にしてくれる関係が有り難いです。

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公認心理師、社会福祉士、浄土真宗僧侶 墓守です。 本堂で静かに過ご...
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いその様。

何でも日本語に…意訳して…
果たして其れで良いのでしようか。
漢文でなければ成らない理由も存在します。
更に申せば、意訳で本来の意味が壊れてしまう事も…

諸師がご回答の様に、漢文読経教典や、梵語読経も必要であるという事ですね。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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「お経・経典の種類、意味、唱え方」問答一覧

生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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