生きるのが面倒くさい
わたしは小さな金融機関で働く新社会人ですが、半年足らずで心を病み、一ヶ月ほど休職をしてしまいました
今は復職していますが、もとの仕事ではなく主に雑用をして過ごしています
そして今日、上司より「今のままではいけない、自分で決断し、前を向け」という趣旨のお叱りを受けました
しかし、就職後八ヶ月の間でわたしはすっかりヤル気というものをなくしてしまったのです
自分なりに頑張って就活をしたつもりですが、別段今勤めているところはわたしが希望していた会社という訳ではありません
それでも入社後はわたしなりに努力したつもりです
遅刻もなく、会社から受けるようにと言われた試験にはすべて合格しました
ですが、結局わたしは会社に行けなくなってしまいました
主な理由は人間関係で、直接指導してくれる女性がどうにも怖くて仕方がなかったのです
その人は妊娠中でわたしのことをよく叱りつけました。けれど、わたしはどうして自分が怒られているのかすらわかりませんでした
理由がわからないので、ますますわたしは焦り、ミスをするようになりました
以後はその繰り返しで、最終的にわたしは会社に行けなくなりました
どうやらお医者様によると、発達障害の傾向もあり、それも原因の一つだと言われました
今はその女性はいませんが、それでも嫌な記憶が染み付いた職場なので、いるだけでもなんとなしに嫌な感じがします
正直、もう何の努力もしたくありません
ヤル気を出して頑張ったところで、すべて無駄になるとしか思えないのです
給料を貰って何かを買っても、大して満足感を得ることもできません
それでも生きる為には働かなければ、と思ってなんとか働いていますが
ふと、こんなに面倒で報いのないものならば、もう生きるのを辞めた方が楽なのでは、と思うのです
それでも小説家になりたい、という夢があるのでなんとか生きています
ですが、小説家になったからといって、どうなんだ、とも思います
生きるのはとても面倒で、わたしは投げ出したくてしょうがありません
それでも生きなければならない理由はなんでしょう?
生きていれば報われる日も来るのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
報いってなんですか?
Harutaさんは報いがないなら生きる意味や価値がないと思っておられるようですが、
じゃあHarutaさんはどんな報いを受ければ満足するのですか?
金持ちですか?
綺麗な妻ですか?
チヤホヤされる地位ですか?
もしこんなものを手に入れることが幸せだとお思いなら一生幸せになれないでしょうね。
ないものねだりで苦しむばかりです。
こんなものの為だけに
私たちはこの世に生を受けたのでしょうか?
私たち
ちっぽけな人間が
ああだこうだとどれだけ議論や思考を繰り返してもわかりえない、計り知れない『意味』や『意義』を持って一人一人生まれてきています。
しかし、それは私たちちっぽけな人間にはわからないのです。
だから勝手に
『理由』とか『意味』とか言わないでおきましょ。
言い過ぎかもしれないけど、
おこがましい。とおもいます。
神や仏じゃあるまいし。
だから命を投げ出してはいけません。
命を投げ出すくらいなら、
まず自分の人生を
良いも悪いも一切合切仏様に投げ出してみませんか?
そうすれば見えてくることがあります。
人生面倒ですが
拝読させて頂きました。あなたが生きることにやる気を出すことできない思いであることはわかります。
なかなか人生はうまくいかないものです。ですが、その様な心もちにしているのは自分でもあります。
あなたが小説を書きたいのは何故でしょうか?それは生きる意味を見いだすためでもあるのではないでしょうか?
私達は自分のことや目先のことにとらわれながら生きています。ですが本当に生きることの大切さや意味はなかなかとらえられない、それが人ではないでしょうか。
どの様な人生も大切です。
あなたも心を癒して少しでも周りを見回してくださいね。たくさんの人生や生き方を見いだすことができるはずです。
もし生きることを学ぶならば仏教を学んでくださいね。
あなたに必ずや生きる意味をもたらしてくださるはずですから。
あなたの未来はまだまだ長いですからあわてずに、人に言われても要点を理解なさりながら心の負担にならない様に生きてくださいね。
「上善如水」
Haruta様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
何のために・・
拙生もよく考えます。
悟りを目指して、頑張っているつもりですが、所詮は凡俗なる身柄、正直、一憶分の一、いや、一兆分の一も前へと進めていないと最近、自覚致しております・・
それでも、ほんのわずかにでも進められるためにできることをと考えております。
もちろん、悟りへと至れることは、今世ではとても無理でしょう、では来世は、来世でも同じでしょう・・そのまた来世でも同じでしょう・・いったい、いつまで・・あと何億年・・いや、何兆年掛かることか・・
でも、悟りへと向かうための流れには何とか乗れてきていると、最近は少し自覚が持ててきております。もちろん、それだけでは全く安心できませんが、諦めずに、その流れになんとしてでもしがみついていきたいと考えております。
もちろん、私たちにおける世俗的な今世での幸せも同じです。少しずつでも良い結果へと向けて、良い因縁(原因と条件、動機と行動)を進めていかなければ、良い結果は決して望めるものとなりません。
諦めずに努力することが大切となりますが、但し、無理は禁物です。また、一かゼロかの極端でもいけません。心身共の様子を見ながらに、無理せずに他にも道はあるということも頭に。柔軟に。時に、「上善如水」です。
どうか人生の活路を見い出されることを。
川口英俊 合掌