僧籍に入る理由について
私は現在高校3年の、受験生です。
将来、寺へ入り曹洞宗の僧侶になろうと考えています。その前に大学で学問として、外から仏教を学ぼうとしています。
「何故仏教か」と言いますと、我儘で、考えてついても踏み出せない自分に対する悩みと嫌悪。胸を張って人に紹介出来る程、人間として立派な祖父と、気に掛けて下さる方々への申し訳ない気持。この二つを解決したいが為に、人生の苦悩からの脱却と、それに伴う精神修養をしたい。
この二つに加え、高校の先生が教えて下さった、正法眼蔵随聞記が、度々私の悩みを解決する薬となった為、仏教を選びました。
これについて、家族や親しい方からは、色よい返事を頂けました。
しかし、家が寺で、それを継ぐ為。といった素晴らしい理由ではなく、前述の理由で大学で仏教を、ひいては寺に入って良いのでしょうか。皆様のご意見をお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はじめまして。曹洞宗の僧侶です。
本来、出家の動機はなんでも良いとされています。お釈迦さまの直接のお弟子さんでも、「自分の師匠がお釈迦さまに弟子入りしちゃったから、なんだかよく分からないけどついていった」みたいなロクな動機が無い人が少なくありません。
そんなテキトーでいいのでしょうか?良いのです。なぜなら、仏門に入って『真面目に仏道に向き合えば』、必ずその魅力にぶち当たって最上級の動機が得られるから…仏教にはその自信と内容があるからです。
むしろ問題は『どんな師と出会うか』です。曹洞宗では師弟の繋がりは一生ものです。とりあえず出家したいからといってテキトーに出家すれば、後悔するかもしれません。曹洞宗系の大学で仏教学を学ぶには駒澤大学か愛知学院になりますが、それらは普通の総合大学の形をとっていますので僧籍は必要ありません。まだ良いお師僧さまと出会っていないなら、焦らず大学4年間で探すつもりの方がいいでしょう。
と言いつつ、修行は精神修養というのはよくある誤解ですので、若干心配な気もします。駒大と愛学には僧籍のある教授・準教授がたくさんいらっしゃるのでオープンキャンパスで相談してみてはいかがでしょうか。
是非、僧侶になって下さい
素晴らしい事だと思います。
左馬頭様
大変素晴らしい事だと思います。
これは私の感覚ですが・・・一般の家の出身で僧侶になった方の方が、意識が高く熱心なお坊さんになる事が多い気がします‼︎曹洞宗でしたらお坊さんになるのに血縁は関係ありません。
多くの事を学び、是非素敵なお坊さんになってください‼︎
壁にぶつかることも多いでしょうが、志を貫いて下さい
あなたの志は立派だと思います。「素晴らしい理由ではなく」と卑下する必要は無いと思います。あまり気にしなくてもいいですよ。仏教に答えを求めようとした志を大事にしてください。
昔は口減らしのためにお寺の小僧となった方もたくさん居りました。私の実父もそうでした。「雨露凌げるから、寺の小僧になった」「饅頭食べたくて、寺の小僧になった」そういうお坊さんもたくさんいたと思います。そういう形で小僧となった方でも、日々の礼佛読経聞法を重ねることを通して仏法が薫習(くんじゅう)され、高徳の僧となられた方もたくさんおられます。
大学の先生方の大部分は研究者であり、教育者です。仏教学を学ぶためには、そういう方々から一生懸命受講し学んでください。大学の先生全員が仏道の師となりうるわけではありません。いろんなお寺の門を叩いてみてください。まあ、門前払いをするお寺も多いかもしれませんが、そういう僧侶はその程度の人物なのでしょう。でも志を抱いて仏道を歩もうとすれば、師匠にふさわしい方に出会うことが出来ると思います。
正式に僧侶になったらなったで、いろんな壁にぶつかると思います。私などが偉そうなことを言える立場ではありませんが、坊さんにもいろいろ居ます。私を含め、あなたをがっかりさせかねない坊さんも少なくありません。でも、あなたの善友となり僧侶もいると思います。あなたを導いてくれる僧侶もきっと居ります。がんばってください。
質問者からのお礼
小黒沢和尚様、鷲尾和尚様、背中を押してくださり、ありがとうございます。
大慈和尚様、誤解を解いてくださりました事に、御礼申し上げます。