他人と比べてしまう…
私は、いろいろ他人と比べてしまいます。
他人の苦労をわからずに結果だけ比べて他人を羨んでしまいます。
そんな自分が嫌になり虚しいです。
もっと自由に他人と比較しない生き方できますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
想念の世界で生きない
今日はちょっと休みをもらってみなとみらいに来ています。
横浜一のっぽなランドマークタワーがそれはそれはご立派にたたずんでいます。
ですが、その近くにウルトラマンセブンのアイスラッガーのような三日月型のホテル、インターコンチネンタルホテルがたたずんでいます。
その間にはみなとみらいの光景にはかかせないクイーンズスクウェア、そしてベイ東急ホテルがあります。
どれも個性があって、比較になりません。
比較をなくす方法は、想念の世界においては、それぞれが個別性を自覚することでニンジンはニンジンを生きる、キャベツはキャベツを生きればいいと知ればよいのです。
事実の上においては、比較がありません。
新潟の景色を眺めたとき、出会い頭の時点では、そこに並んでいるものがどれが価値があるだとか、どれが一番長いとか、どれが便利であるとか、どれが誰のものであるとかさえありません。
ただ、その事実がその通りに映し出されているだけなのです。
その事実をその事実のままに処すること。
みえたこと、きこえたことをその通りそのままに聞き流す、視て過ごすこと。
その後想念が生じてきても、相手にせずに過ごしていれば別に比較は生まれません。
ただ、その通りの事実がその通りのままなのです。
どんな事実も出会い頭の時点においてはあなたの想念がありません。そこにあなたの想念はついていません。
比較というのは事実に対して想念を付着させたこと、想念上での取り扱い、想念越しに物事を眺めた「ものの見方」なのです。
事実は諸行無常ですから、あなたの想念とは関係なしに動いています。
SMAPという言葉がこの世に存在していても、現実世界ではSMAPはもう解散で、リアルタイムでのSMAPは過去の映像か再結成以外にありません。
そのリアルタイムの事実をそのままにみる、聞く、処することが比較が無くなる最上の方法であると思います。
質問者からのお礼
丹下覚元さま
ご回答ありがとうございます。
本来、自分と他人は違うのに同じと考えてしまう…
そうではなく!
あの人はあの人、自分は自分と全く別物として考えていきたいと思います。
そして、今を生きて今この瞬間の輝きを見る!
まずは自分が満足するように生きていきたいと思います。
横浜散歩中のお言葉感謝いたします。