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どうして苦しむのですか?

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旦那との関係性もあまりよくありません。
不妊治療もうまくいきません。

昔は幸せな恋をしていたし、幸せな人生を歩んでいたと思います。
年をとるにつれて将来が不安になるばかりで希望が持てません。

若い頃は不安なことやうまくいかないこともあったけど、いいなと思うこともたくさんありました。

今はいいこともあるけれど不安がたくさんです。

人間は不幸と幸福のバランスがあるのですか?
不幸なところがあるから片方がうまくいくのでしょうか?
逆に、うまく行ってる部分があるとそれ以外は不幸になるのでしょうか?

自殺をしたらその後も苦しむのでしょうか?

もし不幸と幸運のバランスがあるのだとしたら、うまくいく部分があるのは嬉しいけど不幸な部分はそのまま。
不幸な部分がうまく行ったら今ある幸福な部分はなくなる。
そんな人生なんてひどいと思います。

希望が持てなくて、不安ばかりで、人が羨ましくて、自分がどんどん嫌いになりそうで、人生失敗したのかとおもいます。
これから先に希望が持てないのに、生きていくのは辛いです。

自殺したらその後も苦しむのだとしたら、殺されたり病気になるのは別なのでしょうか?

その気はないのに死ぬという状況にならないと、だめなのでしょうか?

どうして、こんなに苦しむのでしょうか。
前世で悪いことをたくさんしたのでしょうか。
それとも、若いとき幸せな時期があったツケなのでしょうか。

生まれて生きていくのは、本当に幸せなことなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せも不幸せも自己責任? 実はアナタが不幸にしている!?

タイトル、本当です。
考え方を変えたければ電話してきて下さい。
まず「不運」とは事実の事です。旦那が冷たい、会話がない、不妊治療で効果がない。これは不幸ではなく、まず「不運」なのです。
それに対して、不幸とは不運という純粋な出来事に対する自己評価のことなのです。
実際あなたよりも不運な人は本当は沢山います。
勿論比較などできません。なり替わることもできません。
ただ、状況的に誰がみても「ああ、この人の境遇は不運だなぁ」と思える方々は沢山いるのです。
では、何故そういう方々はあなたより不運なのに「不幸」ではないのでしょうか。
※これより後はここまでの意味が分かってから読み進めてください。
誰であってもそれぞれに与えられている今の不運(状態)という境遇は、苦境から脱することが出来るのです。
それは想念という人間の思考世界を離れて、事実世界に住する事なのです。
想念の住人ではなく、事実の住人になればよいのです。
事実の住人とは、好き嫌いや幸不幸など想念上の価値を付けない生き方をする人です。
今日は天気が冷え込んでいて、洗濯ものがあまり乾きません。
これは事実です。不運です。不運という程でもないですが、どんな事でも不運と言えます。
どんな事でも事実は事実なのです。
私の不細工な顔が不運であると言えば不運かもしれませんが、別に私は「不幸」ではありません。
世界中の人が私に不細工といってきても、私は顔面が確かに不運かもしれませんが、不幸ではない、という道理がお分かりでしょうか。
心の中のネガティブな評価、ネガティブエネルギーに屈していないのです。
本当にあきらめきっている人は、対処もするはずです。
恨まれても結構ですが、失礼ながら、あなたの今の苦境を脱出して頂く為に、あえて申し上げますが、
あなたは現在陥ってしまっている泥沼にハマっているまま、一歩も動こうとしておられないのです。
沼にハマったまま、その中で思考をされているのです。だから不運ながらにさらに「不幸」なのです。
まず、そこが底なし沼であったならばどうするでしょうか、必死になって「出る」という行為をするはずです。あなたが「行為」しておられることは「思考」であって「試行」という試み、行動ではないことをやっておられるのです。厳しく申し上げましたが、どうか、行動の一歩を踏み出して、思考から脱出してください。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

幸せと不幸は表裏一体。

にこさんへ、こんにちは。

夫婦関係や不妊など、いろいろなことが重なって、人生を辛く感じているのですね。
私もそうです。生きるって辛いことばかりを経験してきたし、今も辛いことはたくさんあります。
「あー、死んでしまったら楽になるのかな」と思ったことも数え切れません。

でも、幸せという気持ちや不幸と思う気持ちは、自分自身が決めていることなので、自分の心を見つめて、自分の心を改善していかなくてはならないと、仏様は教えてくださっています。

出てくる物事には、本来は幸せ・不幸せの価値はありません。決めるのは自分自身です。自分は不幸と思っていても、違うひとは幸せだと思います。また自分は他人を不幸と見ていても、他人にとっては幸せなこともあるのです。だから幸せと不幸は表裏一体の関係にあります。

辛いことばかりを見てしまうと人生は辛くなります。たとえ辛いことがあっても幸せなことを作っていくことは辛さを乗り越えて幸せな人生を送ることができます。夫婦関係がわるければ、友達関係を充実してください。夫だけがあなたの理解者ではありません。子供ができなければ趣味などに人生を楽しんでください。子育てしない分、子供がいる人よりも、趣味に時間とお金に余裕が出てくるからです。

今の状況を嘆いても好転はしません。まずは今の現状でどう幸せに生きるかを考える必要があります。そして幸せの価値観を作りなおしながら、今の現状打破を打つチャレンジをしていきます。

悲しいですが、それしか人生を幸せに生きる道はないのです。仏さまは、「生きることはまず苦しみであると気づきなさい。そして幸せになる生き方を作っていきない」と教えて下さっています。死ぬのは必ず来ます。だから自殺する必要はありません。自殺しても苦しみから逃れられません。あの世でも同じことが待っているからです。肉体があることが魂を向上させる唯一の方法です。

にこさんは、ハスノハで仏さまの教えとつながったのです。大丈夫です。必ず幸せになります。一緒に仏様の教えを勉強して幸せの価値観を作っていきましょう。いつでも辛ければ相談してください。

あなたの人生を応援します。合掌

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個別相談可能
★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

苦しむ主な原因は、煩悩と無明である

にこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちが様々に苦しむ主な原因は、煩悩とその親玉である無明(根本的な無知)にあります。

その煩悩と無明を対治することにより、迷い苦しみの繰り返し(輪廻)から離れることを目指すのが仏教となります。

全ては因縁(原因と条件)次第により成り立って参ります。

幸せや悟りなど、良い結果へと向けては、良い因縁を調えていくことが望まれることになります。

特にしっかりと悟りへと向けた良い因縁(主には、堅固な菩提心と共に智慧と福徳の二資糧の集積)を調えていけるように、是非、仏教の修習を、これを機縁に少しずつでも進めて頂けましたら有り難くに存じます。

にこ様に、にこにこの笑顔がありますように。お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

ありがとうございます。
読みながら涙が出てきました。

昔は死ぬことが凄く怖かったです。
でも、いつかは死ぬ。
いつは、死ねる。
そう思えるようになってきました。

辛いことがたくさんあるけど、いいこともあります。
いいこともたくさんあるけど辛いこともたくさんあります。

もう少し、気持ちを落ち着けて、幸せを見つけていけたらと思います。

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