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「ほ~~~~~」はどの宗派ですか?

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私は京都に住んでいたことがあり、よく「ほ~~~~~(?)」と声を上げながら、数人というよりもっと大勢で托鉢(?)されているお坊さんをよく見かけました。
思い込みでてっきり禅宗の方かと思っていたのですが、浄土真宗の別院の近所に住んでいる知人は浄土真宗の方もされていると言います。
テレビでは密教の方も托鉢をなさるというのを見かけました。
私がいつも見ていたお坊さん方は、どの宗派の方だったのでしょうか?
当時の住まいは右京区でした。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

法(ほう)

とっこ様

川口英俊でございます。問い拙生のお答えでございます。

色々と所説や僧堂(修行道場)によっても異なってくるでしょうが、「ほー」と大きく声を上げて廻るのは、「近くを托鉢に廻ってますよ」、と知らせる意味合いと共に、「喜捨の功徳」をお願いするものとなります。

「ほー」というのは、あくまでも諸説ある中にて拙生が聞いたのでは、仏様の教えを意味する「仏法」の「法」(ほう)、あるいは、仏様の教えを皆様にも大いにお恵みさせて頂くということを意味する「法雨」(ほうう)が、「ほー」となったということで教えて頂きました。

ちなみに、「ほー」と歩いていても、最近では市街地において、マンションのところや防音の厚い壁で、聞こえていない場合もあるため、玄関先で一軒一軒、「本日は、〇〇僧堂より・・」と口上を述べて廻ることも。一軒一軒廻る間に列をなして進むときには、「ほー」と言いながら。

最初の頃は、「本日は、・・」と口上へと続けるための「本日」の最初の「ほ」だと思っていました。

色々と所説や僧堂によっての違いもあるため、一概にこれが正しいとは言えませんし、吉田俊英様の解釈にも一理あると存じます。

とにかく、托鉢僧の「ほー」が聞こえましたら、少しばかりでも構いませんので、大切な仏法を護っている者への喜捨として功徳なさられて下さいましたら有り難しです。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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臨済宗の托鉢です

 「ほ~~~~」とは、鉢盂のことを指します。禅宗寺院で僧侶がご飯やお粥を食べる際に用いる食器のことを應量器(おうりょうき)もしくは鉢(はつ)もしくは鉢盂(はつう)と呼んでいます。インドのサンスクリット語ではPatra(漢語での音訳は、鉢多羅(はったら))と言います。

 臨済宗の僧侶が托鉢する際には、「鉢盂ーーーっ」と声を出して、街中の家々に托鉢で歩いていることを知らせます。本来は「はつうーーーっ」と言うべきなのでしょうが、音便化されて「ほーーーーーーっ」と声を出して行脚しているようです

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
当時、近くに臨済宗のお寺がありましたので、そちらの方だったのかもしれません。
昔はご縁がありませんでしたが、次に托鉢の方にお会いしたら喜捨させていただきます。
ありがとうございました。

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

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一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ