hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

成仏できるのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

5年余りの闘病の末 62歳で主人が亡くなりました

たくさんの病気を抱えながらの治療に
病院ドクター スタッフのみんさんには 細かい配慮も頂き
誠実に治療 対応して頂きました
病院で最期を迎えましたが 大量の吐血という
その最期の姿が 余りにも壮絶で
今も 妻である私の頭から離れません
何度も恐ろしい 残酷な場面を思い出し 怖くて眠れません

結婚生活の中には しわせな事もいっぱいあったのに
この最期の 悲しくかわいそうな姿に
今までの楽しい事も 全て奪われ消えてしまいそうです

病態のひとつであることは わかっています
精一杯ご尽力頂き 私も精一杯寄り添ってきたつもりです
ですが
吐血をしながらも なにか言いたそうだったのに
言葉にもならず 私は聞きとることができませんでした
最期 主人が言いたかったことは なんだったのか
最期を看取ったのは 私だけだったのに
主人が言い残したかったことを 聞いてあげれなかったことが残念で
悔しくてなりません

たくさんの方々に ご尽力頂き 大変大変感謝もしています
身体も限界で 充分がんばったとは思いますが
もっともっと 生きたかったんだと思いますし
最期は 静かに迎えてほしかったです
壮絶な最期になってしまって 主人は成仏できるのでしょうか

大切な人を失うことを どのように捉えたらいいのか
妻である私は どのような心でいれば 主人は成仏できるのでしょうか
どうかアドバイスをよろしくお願いいたします


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最期だけが人の全てではない

誰かからこのように言われたとしても、理解できるようで理解できない。受け止められない、実感できないほどの壮絶な最期であられたのだと思います。
愛する方にはせめて最期は安らかに逝って頂きたいと願うのが万人の心情というものでございます。
ご主人の最期はさぞかしお苦しかったことと思われます。また、お側におられた奧様としても、大変お苦しかったことと思われます。
ですが、どうぞご安心ください。
今は全ての痛みや苦しみから解き放たれて、私どもが思う「今もまだ苦しんでいるのではないか」という所も越えてやすらいの世界に入っておられます。
死というものはあらゆる痛みや苦しみも滅してくれるのです。
Sori様はたった今、その最期のご様子を思い起こされて、その二次的に付随する想念で苦しんでおられるのです。ここは気づきづらいこととは存じますが、よく冷静になられた時に自覚なさってください。
ご主人の死は、ご主人自ら、病にむしばまれながらも、全身全霊でその死を全うされたのです。
誰もが、死は避けられないものであります。
ですが、成仏とは、本当はあなたがするべきことなのです。
あなたはあなたの成仏をする。
亡きご主人に対して、ああ、申し訳なかった。最期の言葉を聞いてあげたかった。力になってあげることが出来なかった。最期くらいもっと安らかに逝って欲しかった。
…と、思い、願うあなたの憂いの心こそが未成仏の様子なのです。
人は亡くなってそれっきりではありません。
亡き後も、あなたの中では霊という心象作用として、今後も折あるごとに心の中で様々な形で現われることでありましょう。
今は、最期の様子があまりにも痛々しい最期であられましたでしょうから、心の中でどうしてもその事が根強く思い返されてしまい、さらには、そこに二次的な負の想念を思い起こされてしまっておられるのです。
本当はあなたは何も失っていないのです。
死は死というあなたはあなたの想念の中での失われの相ではありません。
私どもが亡き方に対して想い願う事は、人間としての理想、できることならそのようになって頂きたいという理想、願望を抱くものです。
実は、その想念もまた、いつとは知らず無自覚の内に形成された自身の幻影的な夢にも似た、真実ならざる想念なのです。
自己の願う、思い描かれた想念と、真実の実相とは異なることを次第に、次第に明らかにしていって下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ご主人様は必ずやご成仏なさいます

拝読させて頂きました。ご主人様の最後の苦悶の姿を目にされてあまりに苦しみなさっていらっしゃるご様子が頭を離れないのですね。そしてあなたを苦しめていらっしゃることと感じました。あまりにも壮絶であればあなたの心に焼き付けられて決して離れないのでしょう。
人の最後の死に様は生きる人々に生きることとは何かを教えてくださるものです。最近は病院にて亡くなりその姿も見えなくなってしまっていますが、本来はその死を以って生きる人々へ伝えているのです。
つまりご主人様は生命として生きたいという生への願いを現していたのではないでしょうか。例え一寸の虫にも五分の魂があるように生きたいという願望と死が追い込む姿がありありと表れたのだと思います。
どんなに長生きしようと本当は一分一秒でも生きたいのが生命の本性であり目的です。その姿が壮絶になることは自然なことなのです。
それをご主人様は身を以てお伝えなさったのです。
私はご主人様が仏様のお導きを正しく受けて仏様のお浄土に生まれ変わり、心から安心してご成仏頂きます様にと仏様にお願いしお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
ご主人は必ずや仏様の浄土に生まれ変わり心安らかにご成仏なさって頂けます。そしてこれからもあなたをお見守りなさってくださることでしょう。
あなたもどうかお念仏おとなえなさって頂き真心込めてご主人様のご往生そしてご成仏をお祈りなさってください。
いつの日かあなたがその生命を全うなさる時が参ります。その時には必ずや仏様があなたをお導きなさってくださり仏様のもとにて再びご主人様と再会なさいます。そして再会を喜びあうことでしょう。それまではどうかご主人様にはあたたかくあなたを見守っていてくださいねとお願いなさりながらこれからもご供養なさってくださいね。
あなたのこれからの人生が心安らかにいつもご主人様と共にあります様にとお祈り申し上げます。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

丹下覚元様
Azuma様
ご多忙の中 貴重なお話を頂戴し 大変感謝申し上げます

主人が亡くなって まだ一か月余り
寂しさもショックも癒えません
どのようにして この悲しみを乗り越えればいいのか
主人から 課題を与えられたような気持です

病や災害
事件事故など 本意ではなく亡くなった方々も
この世で数えきれない程いて
欠けがえのない大切な人を失った 残された者たちは 
深い悲しみと慟哭の中であっても
ただただ 祈ることしかないのですね

主人が生きていた頃と 同じように言葉をかけ
私たち家族を見守ってくれることを願いながら 祈っていきます
ありがとうございました

煩悩スッキリコラムまとめ