自我を殺す。
わたしは夫から暴力を受けました。
それ以来、わたしは夫が怖くて、毎日怯えながら生活しています。
精神的な病気を抱えながら、生活しているわたしを助けてくれる人はいません。
もう諦めました。
誰かに助けを求めるのも、何かを期待することも諦めました。
わたしは夫と子どもが楽しそうに笑って、生活してくれるなら、自分の人生を棄てようと思います。
夫に尽くして、従順になり、怒られないように殴られないように生きていくしかありません。
子どもの成人式を迎える日までは生きて、子どもの成長を見届けようと思います。
もうわたしのこころはなにも感じません。
たのしみもかなしみもわらうこともなくなりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今までのストーリーを捨てて、脚本なしで今から始める人生。
人間、恋愛や結婚をして家庭を持つと、いつの間にかパートナーや家族にどことなく何か期待してしまうものです。
でせうが、その相手は「自分」ではない存在。自分の願いとは無縁な存在。期待通りには動かない存在。今日は今日でトリッキーな動きをするもの。同じ行動をしていても今日は今日で新しいそれを行動している。
「そこ」「それ」は自分の思っているものとは違う現実・実際が行われている所であることを今あらためて思い返すように見つめ直してください。
たとえば、今日埼玉では寒波で、ものすごく冷たい風が吹いています。
先程一度外に出ましたので、ざっくりその寒さを感じました。
今は、窓を閉めていますので、肌身に実際の風を感じていません。
窓ガラス越しに「寒そうな」光景が映っていますが、室内ですので寒くはありません。
この後、私は人と会うために外出しますが、まだ外には出ていません。
ですから、寒くありません。
寒いというのはおおよそ分かっているのですが、まだ、その寒さ、打ち付けるような風がこの身に起こっていないのです。
ところが多くの方々は、おおよそ見当がついて、あらかじめ「どうせきっとこういう感じだろう」と、決めてかかってしまい、その時点で想念を相手にしてしまって、これから実際肌身に感じる「そこからはじまる真実」を相手にする前から、決めてかかった想念を相手に生きているのです。
私はいざ、その寒さにであっても、あらかじめ厚着をして対処をします。
「寒い」という事実があっても、そこに無駄に騒ぎを起こしません。
あなたは夫からの冷たい風に打ちのめされてしまっている。
強い女になってください。
「叩く必要があるの?」「力で相手を押さえつけても私はいいなりにはならない」「警察を呼びます」
相手の防圧に屈しないことです。
怒りとは、力で相手を自分の思い通りにしようというエネルギーです。
あなたは、いくら暴力を受けたからといっても、相手の言いなりになる必要はありません。
あなたを幸せにしてくれる人はその人の他にも沢山いるからです。
相手だってあなたが暴力で言うことを聞く女だと思い込んでいるはずです。
相手の筋書き通り、相手のストーリー通りの女性でいる必要などありましょうか。
自我を殺すのではありません。
我見という真実を真実でないものとして映し出す思いの煙を滅除して、たった今の真実をみるのです。
過去にこだわりすぎる人は、他人をイライラさせる
過去にこだわり、感情を引きずる人は、周りの他人と心のスピードが違うことになるので、周囲の人をイライラさせる可能性があります。
たとえばデートで、ランチが美味しくなかったとします。
で、おやつタイムに別の店で美味しいお茶とスイーツが目の前にあるとします。
過ぎ去ったランチの不味さへの怒りは引きずらないで、目の前の美味しいスイーツを楽しめたらハッピーになれるはず。
しかし、もしもあなたが、ランチへの怒りを引きずったまま、悲しい顔やふてくされた顔でデザートを食べていたら、一緒に食べている彼氏はイライラするでしょう。
あなたは、過去(数分前、数時間前、数日前、数年前)の感情をひきずる癖があるようです。
そうすると、今は不味いランチが無いのに、せっかく出てきた美味しい物まで不味い顔で食べているような毎日なので、周囲の人をイライラさせるのです。
あなたが、旦那さんと円満に生活したいと望むならば、ぜひ、「過去の感情を引きずらない」ことに気をつけてください。
「過去は過ぎ去りもう無い」「未来はいまだ来たらずまだ無い」のです。
目の前の現在を生きてください。
この回答を読みながらも、過去のことを思い出して悲しい気分になっていませんか?
その悲しみは、今は必要のない悲しみです。
赤ちゃんから危険なオモチャをやさしく取り上げるように、あなたの心から、過去の感情をやさしく取り上げてください。
そして、泣き虫赤ちゃんのあなた自身を、やさしく抱きしめてあげる、セルフお母さんを自分の心に創りだして、自分で自分を抱きしめてあげましょう。
「もう大丈夫、新しい私。」