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なぜ地球は生まれ自分がここにいるのか

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昔から天体の授業など壮大な話を聞くと、自分はなぜここにいるのか…。地球はなぜ生まれたのか…。と不安になることがあったのですが、今年の初めに急に自分がなんなのか分からなくなりパニックになりました。

目に見えているものは認識できているのに、なぜ言葉を認識できるんだ?なぜ私はここにいるんだ?と次々に疑問が湧いてきて不安で仕方なくなります。

いままで見てきた景色すら違って見えるような気がします。

一生このままなのでは。気が狂ってしまうのでは。と、またまた色々なことを考えてしまい胸が苦しいです。

生きている意味を考えてしまったら終わり。というような見出しをネットで見て怖くなったり、哲学を勉強している人は自殺者が多いというような話を聞いて苦しくなったりもします。(哲学を勉強しているわけでもないのに悩むのもおかしいのですが)

いままで好きだったものも、心から好きと思えなくなってしまいました。

不安で仕方なくなると動けなくなってしまい、外にもろくに出ていません。

肉や卵などもパニックになる前は好んで食べていたのに、動物を殺したもの、と思ってしまい食事も楽しくなくなってしまいました。

この先不安で仕方なかったら死んだほうが…とも思いますが、怖くて仕方ないので苦しくても死にたくはないです。

切羽詰まって打っているので、文章がおかしいところが多々あると思うのですが、なぜ人は生きているのか。これからどうすればいいのか、など、少しでも前向きになれるようなお言葉を頂けたらなと思っております。

どうかよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁起

「今年の初めに急に自分がなんなのか分からなくなり」とのこと。
では、今年の初めまでは「わかっていた」のでしょうか?そんなことないでしょう。今までもずっとわからなかったのではないですか?つまり「今までわからずに生きてきた」のです。ならば、「わからなくとも生きていける」ということです。わからないと生きていけない気がしているのが「自分の思い」です。

「自分の思い」ほどあてにならんものはありません。縁(関係・条件・環境・対象などの意)によってコロコロ変わるのが思いですから。

で、「自分はなぜここにいるのか」「地球はなぜ生まれたのか」についてですが、仏教的に言えば全てのものごとに原因があります。因果応報・因果の法則・縁起の道理です。

「此れあるとき、彼れあり。此れ生じるとき、彼れ生じる。
此れなきとき、彼れなし。此れ滅するとき、彼れ滅する。」

ってやつです。あれがああなってこうなっという「原因」があって地球があり、あなたがいるのです。ポイントは「意味」ではなく「原因」があるということです。

何か絶対的支配者が意味をもって「地球」や「あなた」という物事を創造したのでなく、あらゆる直接・間接的原因が複合的に絡み合って生じるーこれを「縁(よ)って起こる-縁起-」といいます。縁起してたまたま地球の形、あなたの形をしています。地球もあなたもあらゆる原因によることはわかっても、それが何なのか全ての原因は「わかりません」。

これを「不可思議(ふかしぎ)」と言います。「わけわからんこと」ではなく原因はあるという風に「わけはわかる」けど「人間の思いでは遠く及ばない・敵わない」ということです。

「わからんことをわからんと認める」ことです。

そして「わからん私」がああなってこうなって今現にこうして生かされているという事実に「意味」が生じるのです。ここで初めて意味です。

意味→存在の事実(縁起)でなく、存在の事実(縁起)→意味です。

さあ原因はわかりませんが、あらゆる原因が整って私として縁起している奇跡的な事実に尊厳を見出しましょう。とりあえず私ならお肉も卵も美味しくいただいて、「いただきます・ごちそうさま・ありがとう」からはじめますかね。
 私は「生きる意味」を問うことは必要だと思います。むしろこれをごまかすと「これでよかったのか?」と満たされない人生となる気がしてなりません。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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大丈夫、大丈夫。あなたは、今ここにいます。

パニックとは、意識がどんどん先走って、際限なく広がり、迷子になっている状態です。

しかし、意識がどこまで果てしなく広がっても、意識がおさまっている「器」は、「今ここで呼吸している自分の身体」です。

意識は迷子になっても、迷子になっていることを自覚できれば、必ず「器」へ戻ってこれます。それを忘れなければ、気がふれてしまうことはありません。

「器」へ戻る方法は、色々あります。

例えば、その場でできるものは、
丹田を意識して深呼吸。ジャンプ、四股を踏む等。
日常生活の中では、掃除や散歩、料理など、簡単な作業を集中して行う等。
足元や下半身を温めることや、マッサージ、筋トレやダンス、ヨガ等。

大切なのは、身体を動かし、五感を刺激すること。
そして、目の前にある現実に意識を集中させること、です。

「今ここにいる自分」や「生きている意味」を、アタマではなくカラダで実感するのです。

上がった「気」を下ろす、地に足つける、グラウンディングといった表現をする方もいますね。

さて、以下箇条書きで失礼しますが…

・宇宙の全貌を解明することは、おそらくだれにもできません。
でも、自然の流れに沿って、地に足をつけた生活をすることで、
「宇宙のはじまりと終わりが自分の生命の中に含まれている」と実感することはできます。
その実感があれば、「未知のことを何とか解明したい」という焦燥感からは、解放されます。

・自分は何者か?という問いにも、完全に答えられる人間はいません。
でも、他者との比較によって、なんとなく自分のポジションを確認することはできます。
「自分とは、自分以外のすべてによって定義される」ものなんです。
色んな人間との交流を通して、それが腑に落ちれば、不安は解消されます。

・嗜好の変化は、心身の成長過程で自然に起こることです。食べ物を含め、嫌なものは思い切って卒業してみましょう。これから新しくすきなものを見つければ良いと思います!

・人間である以上、何らかの形で他の生命を頂き、自分の命をつないでいます。悲観的になりすぎず、「頂いた命のバトンをどうつなぐか」という視点でおおらかにとらえてみて下さいね。

不安で押しつぶされそうなときこそ、自分の命を慈しみていねいに生活してみて下さいね。

字数制限で言葉が足らず…ご容赦下さい。
少しは気が楽になりますように…

合掌

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おきもち

すべては宇宙という身体の細胞

私たちが生きている中で、吹いた風や、落ちる雨粒の一つ一つを気にすることはないですよね。何故なら、それは一瞬で過ぎ去る現象だからです。
弘法大師空海は、「声(音)あるものすべてに命がある」とおっしゃっています。風や雨粒、虫や土、石ころですら命があるとおっしゃっています。
何故なら、それはすべて「宇宙」という大きな身体を構成している細胞のようなものだからです。全てのものが宇宙に生かされ、そして全てのものが宇宙を構成しているのです。そういったいみでは、この世に無駄なものなど何一つありません。

私たち人間も同じです。宇宙から生まれ、死んだらまた宇宙に帰って行く、風や雨と同じ現象にしか過ぎません。
じゃあ死んだら終わりか?それは違います。
宇宙から生まれ宇宙に帰り、そしてまた宇宙から生まれるんです。

まるで春に芽吹いた木の葉が、秋には枯れ落ち、木の栄養となり、また春に芽吹くようなもの。
すべての命は同一で永遠なんです。
だから、不安になることはありません。
私たちは常になにかに生かされ、そして何かを生かしているんです。

そういった、宇宙全体を自分として捉える宗教が仏教で、それを突き詰めたのが密教です。
興味がありましたら、またいつでもお尋ねください。

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おきもち

仏教哲学のススメ

Naga様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに西洋哲学では、ニヒリズムやシニシズム、厭世主義に陥ることがあるように存じます。

同じ哲学でも、仏教哲学は違います。精緻な認識論、論理学もございます。

より良く生きるため、真なる真理の探究のため、最高の安楽・幸せ(悟り・涅槃)のために、是非、これからは仏教哲学も学んで頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

漠然とした質問に回答をくださりほんとうにありがとうございます。お礼が遅れてしまい失礼しました。

とにかく苦しくて仕方が無かったので回答の通知が来たときは、少し光が見えた気がして涙が出ました。

相変わらず考えても仕様がないことを考えすぎてしまい不安で苦しくなったりして外出は上手くできていないのですが、ご飯を食べられるようになりました。

かかりつけの病院の先生にも、ゆっくり調子を戻していきましょうと言われました。

ほんとうにこの不安や苦しさから抜けられるのかな…。と思ったりもしますが、少しでも前向きに生きられたらなと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ